ポスト・トゥルースとしてのナラティブ

POST-TRUTH(ポスト・トゥルース)という言葉を見かけるようになったのは昨年末。オックスフォード大が世界の2016年の言葉として選んだことがきっかけだった。客観的事実が重視されない、由々しき事態として捉えられることが多いように思う。

だけど、それもまた一面的ではないかと思うのは、ナラティブ(narative,物語)という言葉が対比して思い浮かんだからだった。

1つには村上春樹の言葉。どこかで見かけた記憶をもとに、インタビュー集から印象に近い言葉を抜き出してみる。地下鉄サリン事件の被害者の語りを集めた『アンダーグラウンド』についての部分だった。

僕はあの本を「ノンフィクション」だとは考えていません。もちろんフィクションではない。しかしノンフィクションでもありません。僕としてはそれをむしろ「物語(ルビ:ナラティブ)の集合体」として考えています。僕がインタビューした人々は、事件の被害者たちは、みんなそれぞれに語るべき個人の物語(ナラティブ)を持っていました。彼らはたしかにそこで事実を語りました。でもそれは百パーセントの事実ではありません。それらの事実は彼らの体験を通して目にされた光景です。これはひとつのナラティブです。彼らはそのナラティブを、僕に向かって語る前に、既にたくさんの人々に向かって語っていたと思います。でも彼らは自分が語るべきことを十分に語ったとは感じていませんでした。なぜなら彼らの語るナラティブに本当に真剣に耳を傾ける人は、そこにある強い感情を正当に引き受けられる相手は、それほど多くはいなかったからです。でも僕は、相手が話をしてくれれば、真剣に耳を傾けました。僕は彼らの語る物語に注意深く、真剣に、温かく、本物の好奇心を持って誠実に耳を傾けました。それは決して簡単なことではありません。真剣に何かを聞きとるにはそれだけの体力も必要だし、それは誰にでもできるということではないからです。でも僕は聞くことに全力を傾けました。

 語り手は僕のそういう姿勢をある程度評価してくれたのではないでしょうか。だから僕に向かって彼らの物語を語ってくれた。ノンフィクションは事実を尊重します。でも僕の本はそうではありません。僕はナラティブを尊重します。それは生き生きとしたものであり、鮮やかなものです。それは正直なナラティブです。僕が集めたかったのはそういうものなのです。批評家の中にはそのことで僕を批判する人もいました。何も実証していないし、事実とフィクションを区別してもいないと。でも僕が集めたかったのは、ただ正直なナラティブだったのです。彼らの語ったことはすべてが真実である必要はありません。もし彼らがそれを真実だと感じたのなら、それは僕にとっても正しい真実なのです。事実と真実とは、ある場合には別のものです。

『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2009』(文藝春秋)340ページ

 少々長い引用で気が引けるけれど、コピペではなく、手打ちしましたのでお許しを。

さらに重ねて同じ本から引用したいのは、カルト・ナラティブとリアルなナラティブの話。

地下鉄サリン事件とは、彼らのナラティブと、我々のナラティブの闘いであったのだということです。彼らのナラティブはカルト・ナラティブです。それは強固に設立されたナラティブであり、局地的には強い説得力を持っています。それゆえに多くの知的な若者たちがそのカルトに引き寄せられました。

(中略)

彼らは自分たちのそのようなナラティブが絶対的に正しく、他のナラティブは間違っており、堕落しており、破壊されるべきものだと思いこまされていました。

(中略)

僕は多くの人々にインタビューすることによって、それらの「普通のナラティブ」を地道に採集していたのだと思います。現実にそこにある、リアルなナラティブを。それらは決して見栄えの良いナラティブではありません。しかし本物のナラティブです。

『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2009』(文藝春秋)346ページ

 どちらも2005年秋号の「THE GEORGIA REVIEW」に収録されたもの。

POST-TRUTHで危惧しなければならないのは、TRUTHがないがしろにされることより、悪い物語が力を持つことなのかもしれないと思う。

悪い物語と、本当の物語はどこが違うのか。その1つが「閉じているかどうか」。他を排除するものなのかどうか。

たとえば麻原は、教団の人間になにかを強制しようとするとき、まず彼らが個々の判断を下せないように訓練します。絶対帰依、と彼らはそれを呼びます。僕はそれを「クローズド・サーキット」と呼んでいます。サーキットを閉鎖してしまってそこからは出さずに、上が判断したとおりの方向に、ネズミみたいに走らせる。そこで人は方向感覚を奪われ、強制する力が善であるか悪であるかということすら判断できない状況に追い込まれます。

それがオープン・サーキットであれば、ある程度の個人的判断が可能なんです。でも一回閉鎖されてしまうと不可能になる。サリンを撒けと命じられたときノーと言えばよかったじゃないかとか、サリンの袋を持って逃げればよかったじゃないかと言う人がいますが、クローズド・サーキットに一回入ってしまうと、そんなことまずできなくなってしまいます。

(中略)

そういう思考の閉鎖性というのは、考えてみたら本当に怖いことです。とくにいまのように情報があふれかえったインターネット社会にあっては、自分が今何を強制されているのかすら、だんだんわからなくなっている。自発的にやっているつもりのことさえ、実は情報によって無意識的に強制されているのかもしれない。

『考える人』2010年夏号 34~35ページ

 オープンかクローズドかと考えると、「TRUTH=真実」もまた、それ以外のものを認めないところはクローズドなのかもしれないと思えてくる。

なかでも、エビデンス(evidence)ベース、すなわち、証拠や根拠や実証に基づかないものを重視して、そうでないものを排除する考え方は、特に。

おそらく、POST-TRUTHの文脈で、ナラティブという言葉が登場することはないだろう。でも、心にとめて、世の流れをみていきたいと思う。

「悪しき物語に代わる、良い物語を書いていく」という(その文もどこかで読んだと記憶しているのだが見つからない)村上春樹、に限らず小説を読んでいこうと思う。

そして、誰かの物語に、語るべきことを語れていないと切実に感じている人の物語に、本当に真剣に耳を傾けられるようでありたい。

甘えへの喝

 取材先の言葉に凍りついた。「資料をちゃんと読んできたのか。サービスを使ってみたのか。それならそんな質問はしないはずだ」。準備不足は明らかだった。「こちらは時間を割いている」。席を立つ背に頭を下げるしかなかった。
 読者の代わりに尋ね、伝える。それが記者の役割だが、専門家や企業の方々に「一から教えてもらえばいい」と甘える姿勢があったことを思い知らされた。それに、今はもう、媒体を通じてしか発信できない時代ではない。なのに「上から目線」が染み付いたままなのではないか。
 かといって、生半可な情報や先入観は禁物だ。下調べの上で、取材の場には白紙で臨む。そんな心構えが薄れていた。
 だが、今度は「相手の時間をいただくに足る準備ができているか」と省みるあまり、取材申し込みに踏み出せなくなった。それでは本末転倒だ。入念に、かつ果敢に。

 

(『週刊エコノミスト』2016年12月20日号 編集後記)

思い返す夏

 2005年の夏は暑かった。小泉純一郎首相が仕掛けた郵政解散で降ってわいたような総選挙。私は佐賀県じゅうを取材で右往左往していた。
 印象に残っているフレーズがある。佐賀駅前の選挙演説だった。「民営化で流れ出す350兆円の郵便貯金がこの佐賀にも来るんです」。それはない、と反射的に頭をよぎった。
 郵便貯金の次は、農協金融か──。当時抱いた予感を思い返したのは、今号の目玉、小泉進次郎氏のインタビューの際だ。「0・1%。農林中金が集めた93・6兆円のうち、農業の融資にどれだけ回っているかです。もっと回れば極端な話、補助金はこんなに要らない」。話の仕方も父上を彷彿(ほうふつ)とさせた。
 郵政3社は上場し、民営化の最終段階に入った。郵便貯金は佐賀を潤しただろうか。進次郎氏は政策にPDCAを導入するという。効果検証は我々取材者こそすべきなのだ。

 

(『週刊エコノミスト』2016年9月2日号 編集後記)

運転なんかしたくない

 車の運転が苦手だ。それなのに、地方で取材していた5年間は不可避だった。あちこちぶつけるのは日常茶飯事、「人に危害を加えてしまうような事故を起こしませんように」と毎日、神様に祈った。東京に来る前に車を手放すと、肩の荷が下りた心持ちがした。交通事故のニュースは、ドライバーに思いが向いてやるせない。
 だから、完全自動運転の時代が心底待ち遠しい。これほど技術の進歩がありがたいと感じるものはない。
 6月28日号の自動運転特集を担当した。自動車会社の人や取材班の男性陣は、運転することへのこだわりが強いようだ。「運転なんかしたくない」との思いを一人くすぶらせていた。
 行きたいところへ自分で行けるのは、とても自由だ。車の魅力はそこにあるのではないか。「いずれ車の運転は、大型二輪のように趣味の一つになる」との見方に一票だ。

(『週刊エコノミスト』2016年7月5日号 編集後記)

実感を話すということ

とっても久しぶりの投稿です。

あぁ綴りたいなぁということは日々あぶくのように現れては消えていくけれど、ようやく書く時は現実逃避気味という情けなさ。

 

誰も彼もがSNSをやっている世の中で、さまざまな物事にまつわる実感を聞くことは、それ以前よりもたやすくなっているように思える。わたし自身、自分の知りたいことについて、本当のところそれにふれたら人はどう感じるのか、と不安に思うと、真っ先に検索している。そして、湯水のように他人が述べる実感とされるものを摂取したのち、しかしはたと、もしかしたらこれは、それぞれが自分の立場を肯定するために好きに言ってるだけのことを、実感と受け取ってしまってるだけなんじゃないだろうか、と思い直す。向かい合った特定の個人であれ、不特定多数のネットの人々であれ、人前で実感を話すことは、実は難しい。そこにはすでに、自分と他人という関係性が持ち込まれていて、その相手にどう思って欲しいのか、その相手とどういう関係になりたいのか、という要素が入り込んでいる。そのうえでフェアに「本当に感じたこと」を話してくれる、信頼の置けるバランス感覚を持った人となると、実はごく少数なのではないだろうか。・・・

(津村記久子「読書日記」2016年6月28日毎日新聞夕刊)

この書き出しで始まる文は、「森下えみこさんはおそらく、そのごく少数の一人である。」と続き、著書『40歳になったことだし』を紹介する。見出しは「軽やかで風通しがよい言葉」

 

こうしてブログに文を綴っておいてナンだけど、そう、自分の実感を、そのまま明かすのって難しい。ネットで伝える手段は出来たけれど、文章として表すことにまずハードルがある。そのまま表すかというと、きっと匿名でだって、「読む人にどう思われたいか」という要素は入り込む。表したいという気持ちも、湧いてくる人、あるいは湧いてくる事柄がある。たいていは埋もれている。誰かが聞いてくれれば、表せることがあるかもしれないけれど、津村さんが書くように、誰が、どのように聞いてくれるのかに関わる。

自分の胸のうちに抱えた、はっきりと像を結ばない実感が、その時々に開いた窓の形ごとに姿を現す。きっと、できるだけそのまま現すことが出来たのなら、できるだけそのまま現したものに触れられたのなら、少しだけ風通しがよくなる。