コーヒーカップが割れてから

週末のたびにご夫婦で営んでいる近所のコーヒー屋さんにいく。

小さなお店は6席、それもイスはスツールやベンチで、混んでいる時は折りたたみイスが加わる。コーヒーが注がれるのは紙コップや持参のマグ。コーヒースタンドというのがふさわしいかもしれない。

開いているのは金〜日曜だけなので、毎週そのどこかで立ち寄り、コーヒーを飲んで、粉を買い(その週の分)、たまに豆を買う(冷凍ストック分)。お二人のさりげない連携プレー、お客さんと交わす何気ない会話、そして丁寧に淹れられたコーヒーにほっと心が安まる時を過ごせる。

先日、テレビ番組でご夫婦が取り上げられていた。職場で出会ったお二人は喫茶店が好きでデートを重ねたのも喫茶店だったという。いつか喫茶店を開きたいね、と転勤先のヨーロッパではコーヒーカップを買い集めた。

ところが、大事なコレクションは東日本大震災で粉々になってしまう。そして、〝いつか〟ではなく、と動き出した先に、今のお店がある。

このお店がオープンした頃から、サードウェーブのブームのなか、コーヒーを紙コップで出すお店はあちこちに増えた。でも、このお店が素敵なコーヒーカップではなく紙コップで出すのは、特別な意味を持っているように思える。