言葉を失う風景

 フェイスブックの写真にあぜんとした。台風21号が西日本に大きな被害をもたらした直後、9月6日のことだ。兵庫県西宮市のビーチリゾートががれきに覆われている。
 投稿した斉藤健一郎さんは、9月11日号の「会社を買う売る継ぐ」特集でレストラン事業を引き継いだ実例としてお話を伺った方だ。6年前にこのエリアに出した2号店がヒットし、周辺にも店が増えて人気スポットとなった。記事掲載の御礼を伝えたばかりだった。
 斉藤さんは復興に向けてクラウドファンディングを呼びかけ、最終的に350万円が集まった。活動報告によると、各地からボランティアが集まり、重機持参の人もいたようだ。
 東日本大震災の際もそうだったが、何か事があった時、すぐ動くことができる人には尊敬の念がわく。自分は、胸を痛めるばかりだからだ。せめて、この欄で記しておく。

 

(『週刊エコノミスト』2018年10月23日号 編集後記)

言えなかった言葉

「私は息子に継いでくれと言えなかったんですよ」。6年前、62歳で死を前にした父が、病床を見舞った私の夫に問わず語りにつぶやいた。
 実家は静岡で緑茶の製造卸小売業を営んでいた。父の死とともに事業を畳み、自宅1階の店舗はがらんどうでシャッターが下りたまま、隣接する工場は貸し倉庫になっている。
 妹の私はお気楽なものだが、長男である兄は就職後に継ぐことを考える節目が何度かあったようだ。父と兄のやりとりを知る由もないが、冒頭の言葉で父の思いに初めて触れた。自分の代で事業を大きくしたものの、緑茶の市場縮小や、兄がグローバル企業で仕事に打ち込んでいることがあったのだろう。
 次号に向けた事業承継の取材で、息子や娘が新事業を展開したり、別の経営者が引き継いだりする潮流を知った。父が生きていたら、違う道があっただろうか。

 

(『週刊エコノミスト』2018年9月4日号 編集後記)

胸に刻み込まれた言葉

 最初に編集部に来てから、10年がたとうとしている。初期に出会った方々の言葉は、今も胸に刻み込まれている。
 問いを立てることの大切さを教えてくれたのは、日本株ストラテジストの北野一さん。これは後に、経済学者の浜矩子先生にもたたき込まれた。
 データを触ることで変化を感じ取れると教えてくれたのは、レアメタル専門家の中村繁夫さん。専門商社の社長になってからも、気になる鉱物の価格は自分でグラフ化するという。
 そして、グラフを扱う時には、本誌「独眼経眼」で今も執筆するエコノミストの藻谷俊介さんの教えを思い返す。前年比など変化率に惑わされず絶対値の動きを捉えること、軸のとり方で印象が変わること。恣意(しい)的にならず、かつ分かりやすいグラフを意識するようになった。
 経済動向をテーマにしながら、物事に向き合う姿勢を教えていただいてきた。

 

(『週刊エコノミスト』2018年6月5日号 編集後記)

何を贈ることができるのか

 ネットが浸透したなか、紙媒体の価値をどこに見いだすか。スピード、情報量、双方向性は圧倒的にネットが勝る。連載「ネットメディアの視点」で編集長の方々に寄稿いただいているが、ネットの特性を生かしたコンセプトを拝読するたび、問いは我々自身へと向かう。
 最終ページで始めた連載「ローカル・トレインがゆく」。かねてより、雑誌を手に取った時に目につきやすいこの欄を、ふと目をとめ、引き込まれるようなものにできないかと考えていた。
 せわしない日常に、ここではないどこかへと思いを馳せる一瞬を贈ることができたら、うれしい。
 鉄道は地方で、移動手段としてクルマに押される。そのなかで新たな価値を見いだす試みを伝えたい。
 観光列車「伊予灘ものがたり」の前回、「沿線から手を振る、乗客が手を振り返す」という下りがあったが、私も先日、とある列車に取材で乗った際にこれを体感した。
 見知らぬ人同士がつかの間、笑顔で手を振り合うのは、なんとも気持ちが和らぐひとときだった。

 

(『週刊エコノミスト』2017年12月12日号 編集後記)

Uターンならぬ孫ターン

 山口県への移住相談に携わる友人の誘いで先日、東京国際フォーラムで開かれていた「やまぐち暮らしフェア」へ出掛けた。各市町がブースを出し、暮らしやすさや移住支援策をアピールしたりしている。
 スタッフTシャツを着た友人に、若い男性が声をかけた。周防大島に祖母の畑があり、将来的に移住を考えているという。すかさず友人がつないだのは、先ほどトークセッションに登場した周防大島で手作りジャムの専門店を開いて注目されている移住者だ。「孫ターンの方、お見えです」
 孫ターン? なんでも祖父母の地元に孫世代が移住することを指し、移住かいわいで定着してきた言葉という。背景には、都市部での子育てや働き方への違和感があるようだ。
 折しも8月15・22日合併号の担当特集「みんな土地で困っている」で、親が遺した田舎の家や田畑を持てあますという話をよく聞いた。都市部で長年働き、居も構えた中高年にとってUターンは選択肢にないかもしれない。ただ、厄介者の家や田畑も、見る目が変われば転機の縁、新生活のインフラになると気づかされた一幕だった。

 

(『週刊エコノミスト』2017年9月5日号 編集後記)