“つぶやき”の対極に

 フレッシュマンが街にあふれる4月。9年前、就職が決まらないまま大学を卒業し、リクルートスーツを着ていたことを思い出す。
 前年の秋、父に「家業を手伝ってもいいか」と泣きついた。ほどなく手紙が届いた。家業を継いでからの苦闘と「やりたいことを追いかけろ」の言葉。離れて暮らし、窺い知ることもなかった父の思いが詰まった手紙に、自分が意志を持って方向転換しようとしたのではなく、単に逃げていたのだと分かった。
 映画『育子からの手紙』は、病室で出会った少女育子と主婦喜美子が、離ればなれになった後も手紙をやりとりし、心を通わせる物語だ。押し花が添えられた喜美子の手紙は、病と闘う育子を励まし、讃え、時に弱音を吐いてもいいのだと包み込む。
 相手がどんな気持ちでいるのか、どんな言葉をかければいいのか、思いを巡らせながらペンをとる。それは、その場その時で誰にともなくネットで“つぶやく”ことの対極にある。新しいコミュニケーションの形の可能性は大きいが、置き換わるというより、むしろ既存のものの持ち味も際だつのではないか。
育子からの手紙』は4月17日に角川シネマ新宿、梅田ガーデンシネマで封切られ、全国各地で上映が予定されている。

(『週刊エコノミスト』2010年4月13日号編集後記)