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ごはんが出来たよ

仕事でまる一日、先方のお宅にお邪魔していた時のこと。
昼時、話の途中で先方が「あっ銅鑼が鳴った。下に降りよう」という。
1階のダイニングではテーブルが整い、ちょうど奥様がドリアをオーブンから出すところだった。確かに小さな銅鑼(鉄の円盤)がぶらさがっていて、ばちで叩くとぽーんと柔らかい音がする。かすかな音なので先ほどまでいた3階の部屋まで届くのだろうかと思ったが、毎日のこと、ちゃんと耳に入るようだ。私はまったく気がつかなかったけれど。

あぁこれ実家にあったらよかったと思う。
というのも、父が「ちょうどいいタイミングで食卓に着くようにけっこう気を遣う」とこぼしていたから。
父曰く、早くからダイニング周辺をうろうろしていると「せかしているのか」と母に叱られ、かといって、まだ時間がかかるかと思って工場に戻って仕事をしていると「もうご飯だよ。冷めちゃう」と呼びに来た母にこれまた叱られる。

工場だとさすがに銅鑼の音は聞こえなかったかもしれない。
でも、電話やベルで呼ぶのではなく、銅鑼というのが何とも味わい深かった。

父の自宅療養中、私が夕飯を作っていた時には、母は呼んでも呼んでも、店からなかなか戻ってこなかった。なんでも、あと少しキリのいいところまで仕事を片付けてしまおうと思ううちにずるずる過ぎる、らしい。
父のベッドはダイニング横に置いていたので、私が「もう出来るよ」と声を掛けると、起き上がってテーブルに着いている。
作った身としては、料理はあつあつを出したい。でも待たせずに、最後の1つを運んで一緒に「いただきます」と食べ始めたい。のだけど、「あー、先に出したやつが冷めてしまう」とやきもきしながら待つことになる。

ある日、私のやきもきする様子をみて、ようやく座った母に父が説教。
「俺にはあんなに口やかましく言ったのに、自分は人の気持ちを考えない」。
母はグウの音も出ませんでした。

この、「食卓に着くタイミングに気を遣う夫」は、いま読んでる高村薫の新作『冷血』にも出てきた。
冒頭、ある家族の朝の光景。

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後ろのキッチンで、母が味噌汁のお椀を手に、半分こちらに身体を振り向けて「渉!まだあ?」と叫ぶ。母は、ご飯の出来上がりと同時に家族が食卓に揃っていてほしいたちで、待たせるのも待たされるのも嫌いだ。それで機嫌が悪くなるというのではなく、ただ頭がそんなふうにできているだけだが、父も子どもたちも一寸気を遣う。
ほら、母の声の調子を聞き分けた父が新聞から目を上げ、眼を泳がせた。何かがまずいと気づいたものの、何がまずいのかとっさには分からなかったような間の抜けた顔。それがあゆみの方に向き、空っぽの渉の席へ向き、やっと分かったというふうに廊下のほうへ向いて、父は「渉くーん」と間延びした声を上げた。早く来なさーい、みんな待ってるよ−。

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・・・なんかキーボード写経(本から書き写す)にはまってきた。
のどかな場面のようでいて、小説自体はのどかとはかけ離れているんだけど、この一節を読んだ時には、うちだけじゃないんだな(物語の世界だけど)とちょっと顔をほころばせてしまった。