最期の日々に

実家の片づけという言葉は2014年の隠れ流行語大賞ではないかと思うほどよく見かけた。その文字を見るたび、そしてガランとした実家の一室に泊まるたび、胸がしめつけられる思いがする。

3年前に祖父が他界すると、父は猛然と遺品を処分した。それに留まらず、家族の品をどんどん整理していった(私が大事にしていた本まで売ってしまった)。病は既に進行し、体調が優れないなかの作業だった。

あと半年の命だったのだから、あんなことに費やさなくてもよかったのに。でも、末期と告げられた後は家業を畳む始末に没頭し、もう動けなくなるまで工場に足を運んでいた父のことだから、最期の日々と知っていても同じようにしただろうか。

4年ぶりの編集部です。生老病死の密度が濃い生活を経ると、経済の言葉や発想に隔たりも感じますが、本当はつながっているはずです。

(『週刊エコノミスト』2015年4月21日号編集後記)