11月14日 通院

街角の焙煎所で珈琲を手にぼんやりしていたら、学校帰りの小学生たちがガラスの向こうを歩いていく。新しいお客さんと入れ違いにごちそうさま、と通りに出たら、ミルで豆を挽いたのだろう、ふわっと香りが広がった。ワインのような、変わった豆だそうだ。焙煎する時にはもっと道の遠くまで香ばしさが漂う。

実家の工場もちょうど周りこむように小学校の通学路になっていて、よく同級生からお茶の香りがすると言われていた。

珈琲とお茶の仕上げは、けっこう似ている。珈琲は豆を挽き、お茶は葉を揉む、のだけれど、原料に火を入れる加減で味や香りが変わる。さまざまな特徴を持つ原料をブレンドして、味を作る。

機械を運び出した工場はがらんどうで、もうじき倉庫として貸し出す。通学路も変わって、小学生はもう通らない。

11月14日 外来に付き添っていく。

緩和ケア病棟を退院するとき、外来に家族がきてもかまわないという了承を主治医の先生から得た。最初の外来の予約の日がやってきた。時間は午後の外来の一番最後。父はお昼を食べたあとからそわそわしていた。出がけの電話が長引いた私をしり目に、早々に支度をして、上がり框に腰かけて待っていた。

タクシーで病院に着くと、入り口で車イスに乗せ、受付の機械に診察券をかざす。
前は血液検査で二階にいったけれど、それはもうしなくていい。検査データを見て状況を把握し、対策を立てる段階ではもうない。直接、泌尿器科の受付に行って診察券を出し、待つ。電光掲示板にそれぞれの診察室でいま何時台の予約の患者を診ているかが表示される。30分はずれている。同じ予約枠のなかでも3人いるから、さらに待つ。

診察室のなかからマイクで患者の名が呼ばれる。○○様、という医師と、○○さん、という医師がいる。医者が偉そうだった時代から、患者を上にする、サービス業的な姿勢を示すため様呼称が取り入れられたものの、今また「さん」に戻す病院も出てきているようだ。主治医の先生は○○さんだった。確かにこちらの方が自然だ。

診察室に入ってきた父の顔を見て、主治医の先生の表情が和らいだ。状態はいいと判断したようだ。鎮痛麻薬や睡眠薬の薬の量など話して、また一週間後ということで終わった。

泌尿器科の受付でファイルをもらい、総合受付の窓口に出す。処方箋は別の窓口から薬局にFAXする。父は先にタクシーで帰した。30分近く待って、名を呼ばれ、精算書を受け取る。自動精算機で支払いを済ませ、目の前の薬局へ。先に処方箋をFAXしたものの、ここでも30分近く待つ。薬ができた順に番号が電光掲示板に表示されていく。

つくづく病院とは待つところだ。
私でさえ、まだかな、もうこんなに過ぎたのに、と思いながら電光掲示板を眺めたりしているのは疲れる。
それを病人がやるのだ。特に体が弱った状態では、家族がいなければ、病院に通うのも一苦労ではないか。おひとり様だとどうするのだろうか。介護に通院付き添いという項目は一応あるものの、認定がややこしそうだ。

医療、介護、それに生活保護に保育。
公共サービスというのは、受けるための手続きがすさまじく煩雑だ。
必要としている人は体力や気力や情報収集力、あるいは行動の自由を欠いている状態だというのに。

待つというイライラについて。
別の外来の日、待合室で事務の女性相手に怒鳴り散らしている男の人がいた。その日、泌尿器科では患者がファイルを受付に出したり、会計に持って行ったり、という作業手順を変える実験をしていた。何かの手違いで診察の順番が後回しになったらしい。

誰かがイライラを発散させる声は、待っているイライラを倍増させる。
たまらず近寄って「静かに、ここにいる人たちには大声はこたえます」というと、「なんだお前は」とすごんできた。言い争いになっては周りの患者たちにさらに耳障りだと思い、しばらく黙ってじっとその人を見ていた。この人も病気を抱え、神経が逆撫でられやすくなっているのだろうと思えてきた。じきに事務の役職らしい男の人が出て来て、女性と2人で平謝りした。彼はようやく矛先を収めたようだった。

そういえば父も一度、会計でひどく待たされ、受付に強く抗議したと言っていた。「手際が悪い」とよく観察するのは経営者目線か。丁重に謝罪されたらしいが、その後、自分が病院でウルサイ患者だと思われているのではないか、主治医までそれを知っているのではないかとしきりに気にしていた。豪気なのか、小心なのか、よく分からない。