11月1日 病院選び

11月1日 木曜
父の誕生日なので花かごを持ってゆく。入院して初めて院内を散歩し、富士山を眺める。

朝、近所の花屋さんに電話すると、「どこの病院ですか?」と聞かれる。
なんでも病院によっては花の差し入れは不可、だそう。
ぐぐってみると、院内感染のリスクがあるかららしい。
前に祖父が入院した病院で花の自動販売機を見て驚いたけれど、一方では見舞いの定番の花が駆逐されているのか。

父は入院時には衰弱していたのが、3日間でかなり回復したようで、この日、初めて病室を出て散歩する。夕方には病棟も出て、別館まで足を延ばしたほど。

渡り廊下の窓から美しい富士山が見えた。

病院から、病院の行き帰りの道中、家のベランダから、実家と大阪の家を往復する新幹線から、父の最期の日々は、折々に富士山の美しさが胸に沁みた。これほど美しいと思ったことはなかった。

富士山が見え、そして祖父の生まれ故郷の山が見え、家のあたりの街並みが見える。
病院は家から自転車orバスで10分ほど。この近さが最初から最後まで父がこの病院で闘病生活を過ごした理由だった。

5年前、父は定期の健康診断で尿に異常が見つかり、近所の診療所へ。
健康な父にとってはかかりつけ医というほど縁はなかったが、私が子どもの頃に風邪を引くと行ったというように、我が家で何かあると頼る町医者だった。
そこでも異常は異常のままで今の総合病院への紹介状をもらい、検査の末にがんと診断された。

手術、再発を繰り返すなかで、人からは他の病院にセカンドオピニオンを求めることや、がん専門病院で先進的な治療を受けることも勧められたそうだ。
でも父は、今の病院なら、午前中、外来に行って午後には仕事に戻れるし、入院中も母が朝晩、行き来できる。リタイアしていて治療に専念できる人なら、いい病院を探して、引っ越してでも治療を受けにいくかもしれないけれど――と言っていた。

といっても、この病院もがん拠点病院だから、そこにこの近さは恵まれていたともいえるのだけれど。

がんの治療法や病院の選び方についての情報は多い。いい病院のランキングやリストもある。もっといい病院、いい医者、いい治療があるのではないかと“ドクターショッピング”に陥る患者もいる。父はその対極を行った。
よりよい治療を求めること自体が生きる気力となる人もいるだろう。でも、がんと並行して日々の生活がある。

後でこんな話も聞いた。田舎の親にいい治療を受けさせようと、息子たちが大学病院に入院させたけれど、どんどん無口になり、気力をなくしていく。もはや手術どころではない。そこで同じ出身地の看護師が方言で話しかけると、口を開くようになった。故郷の病院に移ることを目標にリハビリに精を出し、そして帰っていった――。
そういえば、ここの病院の看護師さんたちも、若くて美人でもベタベタの静岡弁を話していたっけ。