14.2つの家

この家に行きたくて、リトアニアのカウナスに立ち寄ることにした。
それは杉原千畝の記念館です。

第二次世界大戦初期、リトアニア領事館にいた外交官。ナチスの迫害を逃れるため、日本行きのビザを求めたユダヤ人たちに、本国の指令に背いてビザを発行し、6000人もの人を救った。

カウナスの市街地のはずれ、丘の上にある記念館は当時、領事館兼住居だった建物をそのまま使っている。階段を上った先の住宅街のなかにある。知らなければ見過ごしてしまいそう。庭先に門だけぽつんとあり、日本語とリトアニア語(?)で「希望の門、命のヴィザ」と書いてある。

最初に映像で杉原千畝の人生を振り返り、そして3部屋ほどの小部屋の展示を見て回る。ビザのおかげで救われた人の手紙、ビザ発給リスト、本国とやりとりした書類、異国の地で暮らした家族の写真・・・
このビザを出す過程は、規則・命令の目をかいくぐったものすごく巧みなもの。ユダヤ人たちが求めていたのは、日本を経由してアメリカなどに第三国に行くこと。受け入れ国の入国許可がないと通過ビザは出せなかったけど、ビザがなくても入国できるカリブ海の小島(オランダ領)を行き先にする方法をほかの国の外交官が編み出していて、それを使った。

当時、日本はドイツと同盟を結んでいたから、ユダヤ人へのビザ発給は許可しなかった。でも彼のアリバイ工作は巧みで、本国からビザを出すなという電報がくると、返事をしばらく出さずに、その間にビザを出し続ける。返事を出すまで命令を了承したことにはなってないから、命令が届いていなかったという方便が出来、命令に背いたことにもなっていないという裏技。ビザ発給リストもどうも正確には作っていないようだし、最後はカウナスの領事館を閉めて、プラハに移っているけど、その移動の日付もごまかして、早く経ったように見せている。

ビザをもらった人たちはシベリア鉄道をわたって日本の敦賀や富山に入り、そこから上海に、そして戦後、アメリカやイスラエルにわたっていったようです。
戦争中に、ユダヤ人が敦賀に大勢いたという話にもびっくり。
本当は旅費がある人しかヴィザは出してはいけなかったところ、千畝はその条件を充たさない人の求めにも応じて発行するようになったため、貧しい身なりの人たちも多かったという。

千畝はその後、戦中はプラハやケーニヒスベルグなど東欧で、独ソ開戦などの情報をつかんでいたけれど、戦後は外務省を辞めて、モスクワの貿易会社に働いていたところ、1968年になって、助けられた避難民が見つけ、そこから彼の行動が知られるようになっていった。

本国の命令に背いているので、言ってしまえば不良外交官なんだけど、身の危険が及ぶことは必須の人々を目の前にして、どう行動するのかというところで、組織の一員であるがゆえに、シンドラーとはまた違った選択肢と葛藤があったように思う。

自分が持つ権限は大きい(ビザを出せる)。でも、組織に背いた行動の影響は個人にとどまらない。前に、お役所仕事について書いた通り。彼の場合は国の外交も妨げかねないし、それに「個人が勝手にやったこと」と判断されてしまえば、ヴィザの効力自体も失われる。

そこで、アリバイ工作を駆使して明確な規則・命令違反となることは回避し、リスクを最小限に抑える。戦後、外務省を辞めたのは、責任をとったからだという。

・・・ここまでは記念館の展示と、課題図書だった『諜報の天才、杉原千畝』に依ります。
諜報というと悪いイメージがあるけど、この本によると、謀略と諜報=インテリジェンスは別物だそうで、いかに千畝が外交官として情報収集・分析能力に優れていたかを描いている。確かに、単なる「人道」の気持ちだけで出来ることでもないように思う。

記念館には、来館者が感想を書くノートがあって、みると毎日のように誰か日本人が訪れているようだった。折り鶴なんかもありました。

モスクワで思いがけず目にした家。
それは暗殺されたジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤの家。
駅からホテルに向かう途中で、先輩が「ここがそう」と教えてくれたので驚いた。なんの変哲もない街角。2車線の道。
泊まったホリデイ・イン・ホテルの目と鼻の先で、近くにはカフェもある。自宅アパートのエレベーターで射殺されたというのが、こんなところだったのかと。

チェチェン問題を取材し、プーチン政権への批判を続けたジャーナリスト。
アパートの入り口には、その暗殺されたことを記したプレートが出ている(ロシア語を先輩が読んでくれた)。
暗殺の真相は謎。暗殺されたジャーナリストはほかにもいる。
彼女も暗殺される前から毒を盛られたり脅迫されたりしていた。

暗殺にプーチンが関わっていたのか関わっていないのか。
その真偽の手前に、「プーチン政権に邪魔だから」と周囲で忖度して勝手に動く人がいることもあるのではと思う。

プーチン集会が大きく報道されるけど、圧倒的に多い、声を上げない人々にはプーチン支持が根強いという。ソ連崩壊後の混乱を鎮めたこと、何より経済を好転させたことが大きいのだろう。

2つの家、2人の人。去り際にも、思わず振り返った場所だった。