11.釣り銭バトルと芋掘り

その昔、第2外国語でロシア語をとっていた(割に旅行中まったくいいとこ見せてくれなかった)夫によると、ロシア語由来の言葉というのはいくつかある。
KIOSK(キオスク)、イクラ(魚の卵すべて)。あとはノルマなんてのも。

KIOSKは、いわずとしれた元祖エキナカ売店ですね。
JR以外だと鉄道会社ごとに違う名前がついているのに、どこでもキオスクと呼ばれてしまう。
モスクワの街中には、このキオスク、路上にたくさんあるのだけど、日本のキオスクと根本的に違うところがある。

日本ではブースの表に商品が所狭しと並べてあって、客はそれを手にとって会計してもらう。
モスクワでは、ブースはガラス張りで、商品が所狭しと並べてあるのはその中。客は小窓から店員に注文し、店員は商品をとって会計する。雑貨やだけでなく、野菜や果物を売っている店でも同じスタイルの店がある。

要は、モスクワのキオスクは店員が全権を握っているわけです。

夫は役に立たなかったものの、切符買ったり注文したりは先輩が全部、ロシア語でやってくれたので、とてもスムーズでした。
先輩は切符買ってお金を出すたびに、窓口のおばちゃんと口論している。んでお金を出し直したり。言葉が通じていないわけではないのになぜ?と思っていたら、「お釣りを渡すのがイヤで、ぴったり払えと言っている」のだそうです。小銭がないわけじゃなくて、そこにたくさん見えているのに。こっちも(先輩も)小銭はトイレなど必要ということで確保しようと粘るのですが、最後は折れざるをえないというのが毎度繰り返される。

なんで釣り銭出すのがイヤなのか?計算が面倒?出来ないのか?*1
お金を渡すというのがどこか損するような気がするからだそうですが、謎。

日本で、1027円のところ1052円出し、ちょうど小銭3枚25円のおつりが来るなんてのとはかけ離れた世界。数百円の買い物で「大きいのしかなくて」と1万円出しても、持ち合わせのないタクシーでもないと、嫌な顔ひとつされないのに。
まぁロシアでは窓口の店員は基本ニコリともしなくて、つっけんどんな感じです。ロシア人はもともとむやみに笑わないらしいけど、愛想の良さがどこでもデフォルトの日本からいくとギャップを感じる。

この「供給側が強い」というのはソ連時代にしみついた名残なのか、もともとなのかよく分からないけど、それはあらゆる分野に通じ、サービス・品質がなってないことに疲れることが多いそうです。先輩の苦労話によると。

例えば、スーパーに買い物に行く。ジャガイモを買おうとする時、山盛りに積んであるなかからいいものを選ぶ、のではなく、芽が出たのとか腐ったのとかがたくさん混じっているので、それを除けてマシなやつを掘り出す。周囲の客とおしあいへしあいで。という有り様。

郵便もまともに届かない。ネット通販は少しは浸透してきたけど、オンライン予約でも、チケットは手渡しで直接届けに来たりする。そこで、「何時に行く」といっても時間通りにはまったく来ず、悪びれるところもない。
アマゾンも未進出。ゆえに先輩は、出張のたびにトランクで買い出し、日本から来る客に「運び屋」を頼むそう。私たちはバックパックということで本は免除され、小物を運びました。

ちなみにロシアでコンビニは未進出。「ロシア人にコンビニ店員させたら、いっぺんにいろいろ言うな!とキレるに違いない」と先輩。
確かに、コンビニ店員ってすごい。弁当あっためつつ、冷たいものと暖かいもののビニールを分け、箸やスプーンを数通り入れ、何十種類ものタバコから言われた銘柄を取り出し、公共料金のハンコを押し、チケットの受付をし、おまけに宅配便のサイズを測る。超マルチタスク
中国でコンビニが進出できたのは、日本でバイトして身につけた人たちがいるからではないかという穿った推測も。

ジャガイモのファストフードに行った時も、乗せるソースを「コレとコレ」というのはダメだった。「コレ」と言ってそれが乗せられた後に、「もう1つコレ」と言わないといけない。飲み物はその後。

極端な比較対象をみると、つくづく日本で当たり前の環境って、実はすごいことなんだなぁと思う。宅配物がしっかり、冷たく、しかも指定した2時間のうちに届いたりするし。
それはきっと、1人1人配達している人がすごいんだと思う。個々人が宅配物をネコババしたり、配達をさぼったりすれば、成り立たない。人によっては、「マネジメントが・・・」とか云々言うんだろうけど、「さぼる」「悪いことする」をゼロベースにマネジメントしているところの割合ってはるかに低いと思うんです。1人1人が真面目に働く前提のうえに、システムが乗っかっているというか。そして客との間にも、「悪いことしないだろう」という信頼がある。それは見えない空気みたいなものだけど、なかったらチケットを託すことも出来ない。

ただ、先輩の解説では「ロシアは、普通の人に一生懸命働く意識はないけど、上の方のエリートの優秀さは日本と比べものにならない」。確かに宇宙にも行っているし、科学技術発展度は高い。日本は、その境目がなく、皆がある程度、真面目に一生懸命、という意識を共有している半面、「俺は選ばれた人間なのだから、しっかりやらねばならぬ」みたいのは薄いのかも。

とはいえ、日本の当たり前も盤石なものではないのではないかとよぎる。
働く人とお客とで、働く人が偉いのがロシアで、お客が偉いのが日本。
ロシアは客の身ではいろいろ不便で不快このうえないけど、働くには神経使わなそう。
それに引き替え、日本はちょっとお客が偉くなりすぎて、お客の求めに応じることが最優先されるあまり、働いている人の立場がどんどん下がっているんじゃないかということ。
それは別の人なんじゃなくて、働いている人=お客でもあるから、お客の時の自分は偉いけど、働いている時の自分はどんどん苦しくなる。

例えば、営業時間1つとっても、遅くまでやっていれば便利だけど、店員の働く時間は長くなる。
役所とかもそうだけど、土日に窓口開けたら、土日に出てこないといけない人がいる。代休?シフト制?子どもいたら保育園とかあるだろうし、土日はそれ以外の職員だけで回すといっても、それは「例外は少数」が前提のわけです。だんだん保育園も土日もあずかりますとなって、保育士さんも土日出勤して・・・と世の中すべて24時間365日シフト制みたいになっていくのだろうか。既にそうなっているのだろうか。

もともと土日も働いている人はたくさんいるんだとかいうけど、そうやってお互いシバキ合うより、平日で抜けて用事済ませられるようにした方がひょっとして早いんじゃないかと思うわけです。病院とか警察とか記者とか(!)、休日によらず常に詰めて、起きたことファーストの仕事はもちろんあるけれど、そういう人をみているからこそ、わざわざ増やしてどうするの、と。

働く人が偉すぎるロシアと、お客が偉すぎる日本。
「その間でちょうどいい案配ってないんですかね」「あるはずだけどね」と先輩。

働いている時にどんどん苦しくなると、どこかでたぶん真面目に働くことを放棄する気がします。
「そうしたら仕事がなくなるだけ」と今はたかをくくっている。だから、皆より一生懸命働いているようにみえるかもしれない。けれど、あるとき一斉に、多くの人が放棄したら、どうなるのか。日本の当たり前は、奇跡的に築かれた砂上の楼閣で、崩れた先の地面がロシアなのかもしれない。

*1:追記:http://blog.livedoor.jp/choko_tanya/archives/6836986.html:ロシア人は「日本人はエクセル内蔵で生まれてくる」と思うらしい。