1.イチゴの季節


リトアニアラトビア・リーガの市場で目についた、というか鼻についたのは、イチゴ。
甘い香りがただよっている。あっちもこっちも、イチゴばかり。
日本では、クリスマスケーキにあわせてハウス栽培するからイチゴの季節は冬のような気がしていたけれど、ほんとは初夏なんだと思い当たった。

露地モノ(というか野イチゴ?)だから、きれいな形の大粒がパック詰めなんてされてなくて、棚の区切られたなかにどっちゃり積んである。売り子がプラスチックのスコップでビニール袋にいれて、秤で量るというスタイル。単位はキロです。それも、1キロ数十円の世界。割と小粒で、つぶれていたりするから、ジャムとか加工が中心なんだろうな。リガで200グラムだけ買って、ホテルで洗って食べてみたけど、1粒ごと酸っぱかったり甘かったりした。

そう、「アンネの日記」でも、隠れ家にイチゴがどっさり届き、皆でてんやわんやでジャムにするという場面があった。1944年7月8日。せっせとイチゴのへたをとるけれど、バケツにいれるより口に入るほうが多いだとか、でも下の階に人が来ると、音をたてないために、イチゴを洗うのも途中で水を止める。2日間ひたすらイチゴを食べて、ウンザリしてきたり。すごく生き生きと様子が描かれている。・・・アンネたちが連行される1カ月前のこと。

アウシュビッツに行くのにあたって、課題図書(&DVD)を用意して2人でとっくみあいました。

DVDは以下。休日夜のたび、けっこうヘビーだった。

シンドラーのリスト
ユダヤ人を自分の工場の労働者として連れて行くことで強制収容所行きから守った実業家の話

■灰の記憶
強制収容所で、同胞をだましてガス室に入れ、死体を焼く作業をしていたユダヤ人たちの葛藤

■パサジェルカ
強制収容所の看守だった女が戦後、豪華客船で収容者の女を見かけ、当時の記憶を呼び戻す

本は以下。行きの飛行機でなんとか読み終わる。

夜と霧ヴィクトール・フランクル
心理学者が収容所生活をつづった至高の書

アンネの日記・増補新訂版
アムステルダムの隠れ家で13〜15歳の間を過ごしたユダヤ人少女の日記

アンネ・フランクの記憶(小川洋子
アンネの日記を読んで作家を志した著者が、アンネの足跡を訪ね、ゆかりの人々と語りあう

アンネの日記」については、小川洋子の言葉がそのまま的を射ていると思う。
ナチスの犠牲になって早世したユダヤ人の少女、という一言だけですべてをまとめることができなかった。(中略)言葉とはこれほど自由自在に人の内面を表現してくれるものなのかと驚いた」

ちなみに、夫は「思春期の娘を持つ母親が読むといいんじゃないか」と言っていた。

最初は隠れ家生活の愚痴や、同居人の悪口で始まり、そして母親への痛烈な批判、隠れ家での恋、やがて恋の相手や批判していた母親、そして自分自身をも突き放して観察し、表現するようになる。そのアンネの成長に目をみはる。自分の可能性への自負と夢にみなぎる一方、表には出せない繊細な自分を抱えているアンネ。だんだん愛おしくなる。

中学1年で読んだ小川洋子は「自分でも同じような思いを抱えていながら、正体をはっきりつかみかねていたものが、日記の中ではちゃんと言葉になって姿をあらわしていた」と綴っている。倍以上年を重ねてしまった私は、共感という点ではたぶんぼんやりしていて、やはり、同年代の思春期で読むのが一番いいのかな。

ここまで他者と自己を洞察し、かつ、それを文章として綴れるのは、アンネの持ち前の知性や文才が大きいだろうけれど、隠れ家生活で外界と遮断され、それが内へと向かったことも影響しているのでは。この年頃なら普通、友達とはしゃぎ、男の子たちもたくさん寄ってきて、とほかに気を向ける事柄がたくさんあるだろうから。

でも、うーん、隠れ家にいなくても、アンネだったら同じように、周りの人々も、そこで振る舞う自分も観察して綴っていたかもしれない。人との交流も体験も限られた隠れ家で、不安に押しつぶされるように暮らしていてさえも、人はこうして成長できる、と言った方が適切かもしれない。それは、夜と霧にも通底しているけれど。

アンネの日記は8月1日で終わる。隠れ家の8人は8月4日に連行され、強制収容所に向かう最後の列車でアウシュビッツに送られる。アンネは2カ月をここで過ごした後、姉とドイツの収容所に送られ、チフスで2月末〜3月に亡くなる。解放のわずか1カ月前のこと。

夜と霧を読み、そしてアンネの日記を読んで、アンネの表現力とそれまでの成長を思うと、アンネだったら収容所生活で何を感じ、どのように綴っていただろうかと思いを馳せていた。
でも、収容所を目の当たりにすると、むしろ、ここでどれだけアンネの繊細な心が踏みにじられただろうかと胸が締め付けられるような思いがした。

例えばトイレ。単に木の板にくりぬいた丸が並んでいるだけのもの。皆いっせいにトイレの時間が決められ、15〜30秒と時計で計られていたという。

小川洋子は、収容者を丸坊主にして刈り取った髪の毛の山に衝撃を受けていた。アンネは巻き毛が自慢で、隠れ家にもヘアカーラーを持ち込んだほどだったから。髪の毛で作ったじゅうたんというのも展示されていた。材料が何かを切り離してしまえば、単なるじゅうたん。
「人々は知らされていたんですか」と訊ねた私に、ガイドの方はこう言った。「ガス室の死体から抜き取った金歯で作った金の延べ棒はスイスの銀行にも流れていました。今、金投資などと言われていますが、あなたが買う金にも、金歯が含まれているかもしれない。だからといって、あなたは金を買うのをやめますか?」

トイレの円の並びの規則正しさに表れているように、そして収容所のバラックも縦横寸分たがわず配置されているのだけれど、自尊心を傷つける目的ながら、きわめて整然としていて、そして髪の毛も金歯も利用するというように徹底して効率的。不条理な残虐さと、規律・効率性とのギャップが混じり合わないまま頭のなかでうずを巻く。

あと1つ、刻まれたこと。丸坊主にされた収容者たちを3方向から撮った写真がたくさん掲示されていたところで、「気づきましたか」とガイドの方が言った。私は何も気づいていなかった。「なかに坊主にされていない人がいたでしょう。髪の毛を刈る人と刈らない人を作ることで、収容者を分断して、連帯させないようにしたのです」。分断の手段はあちこちにあって、ユダヤ人、エホバの証人の信者、ロマ(ジプシー)、同性愛者・・・と同じ収容者でも、それぞれ違うマークをつけさせていた。入り口の門に掲げてある「労働すると自由になる」の言葉も、競わせて団結させない目的だったという。実際に、解放された人などいなかったというのに。

初回からついつい長くなってしまった。
早くも旅の世界が遠ざかるのを感じるけれど、まだ荷物もすべて片付いていないテイタラクのうえ、時差ぼけが残っているのか昼夜逆転気味。気長にいきます。

アンネの日記、ぜひ読んでほしい。文庫で600ページと長大だけど、少女の話し言葉で訳も読みやすいので、見た目ほど大変ではないです。