物語の力

 弊誌はもとより、経済の記事では、主語が「日本は」「米国経済は」と国だったり、企業名だったり、あるいは「GDPが」などと経済指標であったりすることが多い。
 当たり前だが、それぞれの主語に意思はない。組織は個々の人間の集まりだし、指標は行動の結果だ。逆に経済小説は、個々の人間を主語にその行動や心情を描くことで、全体を浮かび上がらせる。
 今号では3人の経済小説作家の方に本を紹介していただいた。そのうちのお1人で最近、『排出権商人』を著した黒木亮さんは「今はシステムが力を持っている。システムを描かないと経済を描くことにはならない。その底には人間の欲望があるが、制度によって増幅される」とおっしゃっていた。
 その言葉で、作家の村上春樹氏がエルサレム賞の授賞式で行った「卵と壁」のスピーチを思い出した。「高くて固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵の側に立つ」。壁とはシステム、卵とは個々の人間を指す。「システムが我々を食い物にすることを許してはならない。私たちがシステムを作ったのだ」。
 卵から壁を捉える視点が大事な時なのかもしれない。

(『週刊エコノミスト』2010年1月5日号編集後記)