言葉を届けるということ

折々に目がとまった言葉を書き留めてゆきたいと思います。

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そんな私に、こう言ってくれた人がいます。

どこの誰だかわからない人に向けて、くりかえし言葉を変え、言い方を変えて、伝えようとし続けるのが物書きの性ではないか。あなたはもうその一歩を踏み出したのではないか。

(『本を読む人のための書体入門』正木香子著)

 

 

こんなふうに、やじろべえみたいな感じでね。あっち側にもこっち側にも落っこちないようにすること。あっち側は、観客への迎合。こっち側は自己満足。その中庸の道を行く。行く道が細ければ細いほど、演技はすてきに輝くと思うんだ。

(俳優・西岡徳馬さんのインタビュー。2015年4月10日毎日新聞夕刊)

 

 

言葉は発信すれば伝わるものという、根拠のない楽観が蔓延する時代になったと思います。自分の書いたものは誰かに読まれているはずだ、あるいは誰かに理解されているはずだという前提に立った一方的な発信が増えたのではないでしょうか。

(略)

言葉足らずで誤解が生じたり、不信が生まれたり。どんなに一生懸命説明しているつもりでも、相手には理解していただけなかったりするから、本来は言葉を発すること自体に注意深くならざるを得ない。書き手がそうやって言葉に向き合っていた時代には、読み手も書き手が積み重ねていく言葉をそういう微妙なものとして受け止めて、真意を読み取ろうとしてきた。その書き手と読み手の間でひとつの小説の世界ができていくのが従来の小説のあり方だったと思うんです。

(作家・高村薫さん、五木寛之氏との対談にて。2015年4月26日号『サンデー毎日』)