母になってわかった10のこと(7〜番外)

その7.他人の目が気になる

お腹にいる頃からだったと思う。やたらと人の目が気になるようになった。いや、人の目ではない。漠然とした、世間の目だ。生まれてきたら加速した。自分は母親として後ろ指を指されるようなことをしていないか。母がやるべきことをしているか。たとえば子どもが泣いた時に抱きあげるのが遅くはないだろうか。産後、帝王切開だったこともあり痛み止めを勧められたが、普段から生理痛でも頭痛でも飲みつけないので断っていた。ある日、薬剤師さんから「痛み止め、飲んでいないんですか?ほかのお母さんたちは、赤ちゃんが泣いた時にさっと抱っこしてあげたいから、お腹が痛いとすぐに動けないからって飲んでいますよ」と言われ、自分が赤ちゃんのことを考えずに自己都合で行動しているように思えてへこんだ。

振り返ると、これまでの自分はすこぶる傍若無人だった。自分がすべて正しいと思っていたわけではないけれど、自分が思ったように振る舞って何が悪いと開き直り、直接言われたことさえ、たいして気にしていなかった。

どうしてこんなに180度変わってしまったのだろう。

これまでは、自分が行ったこと選んだことの結果はすべて自分に跳ね返ってきた。痛い思いをするのも自分なんだから、自分が納得できるようにしたい。人から言われたことや、世の中の大勢は、あくまでも他人の見方に過ぎなかった。

ところが、母となると結果を負うのは子ども。子どもにとっては、母は選べない。「わたしがあなたを選びました」なんて絵本があって、産院の母親教室で助産婦さんが朗読していたけれど、そんなはずはない。母は子にとって替えのきかない存在であるのに、小さいうちは子どもの世界のほとんどすべてを規定してしまう。すると、自分がすべて正しいとは思えないことが裏返って、自分が思う通りにすることが、子どもに悪影響を及ぼしてしまうのではないかと怖くなる。せめて世間一般からみた母基準をクリアしておきたい、と他人の目、世の声にあるはずもない母基準を意識する。

母親を批判する世の中の声には、すべからく胸が痛む。
ベビーシッターに預けて子が亡くなった事件をはじめ、子どもを置いてのシングルマザーのデート、電車のなかで子どもを泣き止ませない親、等々、母親失格、と指差す先が、いつ自分に向けられるのかと怖い。何をもとに失格と言われるのか分からないし、言われることすべてをクリアすることはできない。言われて「でも自分は母親失格ではない」と言い返す自信もない。

母基準のポイントは多々ある。
最初のハードルは自然分娩&母乳育児か。年配の人に「おっぱい出てる?」と聞かれる時ほど出ていてよかった、出ていなかった時の精神的負荷たるやいかばかりか・・・と思ったものだが、これは身体のことなので自分ではどうしようもない部分もある。

自分でどうするかを決めるものの方がより、他人の目が気になる。
たとえば予防接種。子どもを預けること。
論争になりがちなものとして、公共交通機関でのベビーカー、そもそも子連れで乗り物や公共の場に出ること。
最近ではハーネスなんてのもあった。

だから特に乗り物では緊張する。まだ軽いから抱っこひもで出かけることが多いのと、幸い大人しいことが多いからだろう、今のところ辛い思いをすることはなく、話しかけられたり、あやしてもらったり、席を譲ってもらったりと優しい応対ばかりで、それは老若男女問わない。

直接、自分が聞いていない声に過敏になるのはマイナスだとも思う。
論争でも批判は「特にマナーの悪い親」を念頭に置いているのに、それに多くの親たちが傷ついて反論し、反論すること自体がまた批判を呼ぶ・・・という構図になっているように見える。おそらく当の批判対象者のあずかり知らぬところで。

その8.今が分かれ道だと思うと焦る

退院してすぐの頃、今、泣いているのを放置したらサイレントベビーになってしまうんじゃないか、と焦っていた。
親が呼びかけに応えないと、あきらめて呼びかけること自体をやめてしまうという説が頭のどこかに残っていて、それに縛られた。
テレビを見せると光や音の強い刺激に慣れてしまうのでは、一度濃い味を覚えると、薄味では物足りなくなってしまうのでは・・・。
生まれたばかりの白紙のところへ幼少期の刷り込みは大きいのだから、今の親の行動が子のあり方を左右してしまうのではと恐れる。
極端に言えば「今○○しなければ/○○すると、ダークサイドに落ちてそのまま」というようなもの。
確かに親の影響は大きいだろうが、親が子のすべてを決められるというのは、ある意味、傲慢だろう。
だから一日一日を丁寧に接しようと思えればいいけれど、振り返って取り返しのつかないことをしたと思い、今何をすれば後悔しないかと悩んでは本末転倒だ。

自分のことでも、今、預けて働きださなければ、そのまま専業主婦だという強迫観念がある。
保育園の1歳児募集は激戦で、2歳以降は募集の枠自体が少ない。だからゼロ歳で入れようとする人が多い。育休中の有利な人たちがそうするなかで、不利な自分がのんきにしていていいのか。仕事のブランクは長ければ長いほど、マイナスだ。感覚も、人とのつながりも薄れてしまう。
子がある程度、大きくなってから仕事を再開している人はいる。仕事のブランク、専業主婦を経たから分かったこと、出来ることもあるという。
会社を離れた時点で、人並みの形を追うのではなく、自分の道を歩くと決めたはずだった。
それでも、今が分かれ道だという焦りからなかなか抜けきれない。

その9.自分を守ってくれる言葉には2種類ある

産前から産後までお世話になった助産師さんがいる。産院ではなく、個人的なつながりのある方だ。
あれこれと辛い時、掛けられた言葉にこみ上げてくるものがあって、そして緩むところがあった。
今、その言葉をここに書いたとしても、そうは伝わらないかもしれない。
きっと、私のことを知り、その時の私の様子を見て、発せられたから生きた言葉。

その7に他人の目が気になる、と書いたが、論争などで、世間様の声に対して切り結んでくれる人がいる。
今の母の事情や、医療の実際面を説明する。批判のおかしいところを指摘する。
読んでいると少し気が楽になるし、論争を鎮める力もある。
本などの形で「そんな声は気にしなくてもいいよ」と言ってくれるものもある。

前者は私宛ての言葉。後者は私の盾となる言論。
この二つ、とっても対照的だ。
前者は人と人との間で発せられるもの。医療はじめ保育、教育、介護などケアに属する場があてはまるだろう。
後者はマスコミ的言論といえるだろうか。一定の知名度なりなんなりのある人から不特定多数の人に向けられたもの。
職業柄、これまで後者の方にはなじみがあったし、それが言葉の力だと思っていたが、前者の、コピーも量産も不可能な、その場にいる人にしかできない言葉を発する役割を、名を広く知られることもない多くの人々が担っていることに思いが至った。

その10.悩みは移り変わる

この「母になってわかったこと」は、生後6〜7カ月の時点で、メモをもとに思い出しながら振り返りながら書いている。あぁあの時は辛かったな、と既に過去形のこともある。だから自分の気持ちを客観視して文章にできているのかもしれない。時間が経って、少し苛立ちや強迫観念が薄れたと思うところもある。その4.父は加点方式、母は減点方式、やその7.他人の目が気になる、など。

首がすわり、寝返りをし、ハイハイをしだし・・・子どもはあっという間に成長していく。ゴキュゴキュとおっぱいを飲む子を眺めながら、うまくくわえさせられずに苦しんだ日を思い返すのもつかの間、今度は離乳食。同じ授乳の間でも、病院では頻回授乳をするように言われ、頑張っていたら、今度はだんだん間隔をあけていく段階に入る。その時々で悩みは移り変るし、対処法も変わる。時には逆にもなる。同じ月齢の子でも様子が違うから、一般論やほかの子のことはそのままあてはめられない。今この時、この子にフォーカスして見ること、向き合うことが第一なのだとおぼろげながら思う。

自分が母である状態に少しは慣れてきたけれど、きっとこの先も、悩ましいことが次々現れては過ぎてゆくのだろう。今から想像がつくことから、思いもよらないことまで。過ぎてしまえば何てことはないことばかりかもしれないけれど、その時々の気持ちを綴っておくことは、その時点の自分にも、ずっと先に読む自分にも、何かしら役に立つように思う。

番外・子と一緒にいるときの自分が好き

生後1カ月が過ぎ、授乳も落ち着いた頃に気付いた。
子どもに話しかけるときの自分の声が柔らかい。顔も緩んでいる。
その後、あやして笑うようになると、笑みが移ったかのように自分の顔もほころぶ。なかなか泣き止まなかったり、抱っこの重みに疲れたりしたときには無表情の時もある。それでも、子どもと一緒にいるときの自分はかつてなく柔らかい。