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母になってわかった10のこと(1〜3)

子どもが生まれて早6ヶ月。子どもをめぐることは書かないようにしようかとも思ったけれど、今までとまったく違う自分の様子に驚くことしきりなので時々で備忘録を書き留めていた。整理して残しておこう。

その1.痛いって辛い

最初の1カ月半はズタボロだった。一番辛かったのは乳首が痛かったこと。眠くてしんどいだろうとは覚悟していたが、痛い、は想定外だった。うまくくわえさせられず、浅吸いになって乳首の先に水泡が出来、切れた。吸い付かれると激痛が走った。だから赤ちゃんが泣くのが恐怖だった。おっぱい欲しい、イコールあの痛みか、と。ごまかそうとあやしたりしても泣くばかり。覚悟を決めて胸を出し、歯をくいしばって耐えた。胸に吸い付く赤ちゃんを見つめるという幸せな光景は幻想だった。これが1歳あたりまで続くのかと思うと気が遠くなった。

赤ちゃんは夜ほどおっぱいを欲しがって泣いた。授乳間隔が狭いほど、傷は悪化して痛みが増す。泣く、抱っこして途方に暮れる、痛みに耐えて授乳する、を眠たさに朦朧としながら繰り返し、明るくなるとほっとした。毎夜、夜が明けたら哺乳瓶にしようと思った。元来めんどくさがりやの私は、哺乳瓶を消毒して、ミルクを溶かして、冷まして、なんてヤッテランナイ(特に夜中に起きて)と思っていたけれど、私の最優先感情である「面倒くさい」を「痛い」が上回ることを知った。でも、昼は少し授乳間隔が開いて痛みが治まるので実行には至らず、また夜に同じ思いをした。授乳のたびに薬をぬりたくり、いいと聞いてラップを乳首に貼った。

1カ月健診の時に病院で仕入れた2本目の薬はほとんど使わぬまま、いつしか痛みは治まっていた。夜の授乳も4時間おきといくぶん眠れるようになり、だいぶ気持ちが落ち着いた

その2.産んだって言えない

「第一子が誕生しました」。Facebookにアップした報告に出産しました、とは書かなかった。その後も産んだという言葉は避けている気がする。逆子で帝王切開であることは納得しているつもりだけど、どこかで引け目があるのだろうか。

なかなか子どもが出来ずにきた。授かって、無事にこの世に生まれ出てくれることに御の字。女性には皆、産む力がある、なんて言われても、自分の“産む力”に自信もなければ、試そうとも思わない。医療の力を借り、現代でなければ被っていたリスクも避けられた。私がお腹のなかで育て、そして、これから育てていくことに変わりはない。その重さの前で、子がお腹から出ていくというピンポイントの在り方にこだわってはいられない。

正直、産む体験が出来ないことが残念だという気持ちもほんの少しある。ただ、2人目授かれたとして、リスクをとって選択するほどには体験してみたいという気持ちは強くない。

産んだというのは自分で身体から出したという感じがする。私が言葉を選ぶ時、取り出してもらった帝王切開に、産んだという語感がしっくりこないだけなのだ。

その3.そこに因果関係はない

7ケ月も終わりの健診で切迫早産と言われ、安静を命じられた。切迫早産とは、赤ちゃんがいる子宮の入り口の糊代(頸管)が短くなっていて、予定より早く、赤ちゃんが小さいまま生まれる可能性があること。1週間後の健診でそのまま入院した。2週間後に退院したものの安静は続いた。

入院した時に友達からもらったメッセージにどうしてあそこまで心乱されたのだろう。「ママ少しからだ休めてね、っていう赤ちゃんからのメッセージなのかもね。ゆっくりして」。悪意がないのはわかっている。思いやりのこもった言葉だ。それでも、赤ちゃんをよそに好きなように動いたから切迫早産になったと言うのか、と反発せずにはいられなかった。その罪悪感は自分でも抱きつつ、目をそらしていた。ワーキングマザーである彼女に言われたから余計に、私の方が仕事は少ないし、通勤もないのだから、よっぽど動いていないはずなのに、と悔しかった。赤ちゃんのため、というより、単にだるさに任せて過ごしていたのだが、切迫早産という結果で、それまでの過程がどうであれ、“動き過ぎ”と原因として判断されてしまう。皮肉めいた返信をせずにはいられなかった自分がまた、みじめだった。

なかなか子どもが出来なかった時にも、なぜだろう、何が悪いんだろうという答えの出ない問いがグルグル頭の中を回った。答えは出ないけれど、私の全てが答えになりうる。夜更かしに外食コンビニ食、たまの痛飲と褒められた生活ではないし、少しの間だけど出産の先延ばしもした。

妊娠したら、安産は自分でつくれる、だとか、安産の人がやっていたことはコレ、という本や雑誌のメッセージに引っ掛かりを覚えた。ヨガや体操に食事、夫婦の会話、情報収集、ストレスのコントロール、産む場所の検討と選択、等々。もし安産でなかったら、頑張っていなかったからだと言われるんだろうと憂鬱になった。同じことをやっていても、安産の人とそうでない人がいるはずなのに。何もしなくても、安産の人もいるはずなのに。

だから、私がおっぱいの分泌がよいことに対する義母の「節制がいいのね」という褒め言葉も素直に喜べなかった。決してそんなことはなく、母もよかったそうだから体質に過ぎないというきまり悪さがあった。それに、出が悪かったり、トラブルがあったりしたら何と言われていたのか。母乳にはあれを食べるのは悪い、これも悪いと諸説あって、トラブルがあった時にはそのうちどれかは当てはまりそうでもある。

原因を究明し、再発を防止せよ。何か事件や事故が起こると必ず言われる。マスコミ発想の定型だ。今までどっぷり浸かったこの発想が時に自分を苦しめる。

そこに因果関係はあるのだろうか。それをするのは、あるいはしないのは確かに良いことではあるけれど、良いというのは何かにつけ、という程度かもしれない。しなかったから、あるいはしたから即、マイナスの結果が出たとは限らない。ほかにいくつも原因が絡み合っているかもしれないし、どうにもできないこともあるかもしれない。運も偶然も働くだろう。

こんなことを言うと、努力を否定していると思われそうだ。運命論者めいてもいる。コツコツと努力することで得られるものはあるだろう。ただ、それは分かりやすい形で現れるばかりではないように思う。因果関係に苦しめられるのは、これまで、自分の判断と努力で何もかもコントロールできる、コントロールしたいと思い込んできたことの裏返しなのかもしれない。努力すれば報われる、というテーゼを離れたところに広がる世界に目を向けていたい。