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11月8日 退院

11月6日 木曜
緩和ケア病棟(のようなもの)を退院する

入院してすぐは、父は衰弱しきっていたのが落ち着いたため、「入院してよかった」と口にしていたが、3日ほどして回復してくると「いつ出られるかな」などとつぶやくようになっていた。主治医の先生に相談する。在宅緩和ケアを専門にしている医師は静岡では1人。そこに紹介状を書いたこともあるが、かなり多くの患者を抱えているようで受け入れられるかどうかは分からないとのことだった。それに以前のケースは先生が積極的に紹介したというより、患者の方が探して話をつけたうえで転院という形だったようだ。

父は転院には乗り気でなかった。入院と同時に栄養の点滴の管が入り、通院時には飲み薬だった鎮痛用の麻薬が、針を刺したまま固定した注射で24時間投与されていた。訪問診療を受けるとなればそのままでも退院できるけれど、父は針が入った状態で、通常は家族だけの自宅にいるのは不安だという。それに、新しい医師にかかることになり、今の主治医との関係が切れてしまうことにも抵抗があるようだった。

再びそれを主治医の先生に伝えると、鎮痛麻薬の張り薬を使って、“一時”退院する方向で進めてくれることになった。数日かけて点滴を減らして管を抜き(そこで高栄養飲料が紹介された)、鎮痛薬は注射から張り薬に置き換わった。退院後は週1で外来に通い、薬の処方を受けることになる。

張り薬は2センチ角のシールをお腹に貼っておくと、成分が徐々に体に吸収されるというもの。サロンパス久光製薬が作っているところがなるほど、という感じ。毎日交換するものと、1日置き、2日置きのものがあるが、毎日のものが分かりやすいと言われた。

それでも不安で何度も先生に確認したのは「辛くなったらまた入院できるか」。
父だけではなく、入院前のしんどい様子を見ていた母もしきりに気にしていた。
先生は、いつでも入院できると請け負ってくれた。

さらに、私が「外来に通うのがしんどかったら、家族が様子を伝えて薬をもらうことはできるか」と聞くと、先生は「いいですよ、法律違反ですが」と言った。

その時、信頼できる先生だと思った。
医師法では直接診察しないで薬を処方することは禁じられている。それでも、事情に即して、自分が違法と咎められることも覚悟で引き受けてくれた。無診察処方は巷で横行しているし、とがめだてされるケースも稀だから――というわけではないと感じた。

医師法に限らず、法律を杓子定規に運用すれば、現実との齟齬が生じる。かといって、原則として禁じるべきことはあるし、法律でいちいちケースバイケースを規定するのも厄介だ。その時、自分の裁量で、責任を個人で引き受けて、現実を法律に優先してくれる人がそこかしこにいて、世の中なんとか回るのだと思う。それは「みんなやってるから」乗っかるのではなく、あくまで、個人としての判断で。

内田樹センセイがかつてブログで、高校の単位未履修問題に関連してこう述べていた(2006年11月3日)

法規と現実のあいだに齟齬があるときには、「事情のわかった大人」が弾力的に法規を解釈することは決して悪いことではない。(中略)「弾力的運用」ではなく、いくつかの学校では必修科目をネグレクトすることが「硬直化した構造」になってしまっていたということが問題なのである。

超法規的措置」とか「弾力的運用」ということがぎりぎり成り立つのは、それが事件化した場合には、「言い出したのは私ですから、私が責任を私が取ります」と固有名において引き受ける人間がいる限りにおいてである。
法理と現実のあいだの乖離を埋めることができるのは固有名を名乗る人間がその「生身」を供物として差し出す場合だけである

内田樹の研究室: 2006年11月 アーカイブ

退院の前日、父は熱を出した。退院が延期になるのではないかと父は不安げだったが、先生はまったく気にしていなかった。この機会を逃せば、どんどん悪化していく一方で、もう家に戻ることは出来なくなると分かっていたのだろう。私も、たとえすぐに病院に舞い戻ることになったとしても、とにかく一度、家に帰ってきてほしいと願った。

翌朝、早めに病室に着くと父は晴れ晴れとした顔をしていた。熱は下がり、家に帰れるということで興奮しているようだった。さっさと荷物をまとめ、会計や薬はまだ届かないのかと私に看護師に聞きにいくよう急かした。

10日ぶりに父とともに病院の表玄関を通ってタクシーに乗り込み、ほっとした。一つ肩の荷が下りたように思った。家につくと、父はさっそく工場に向かった。