永遠の楡の木

週刊エコノミスト』2013年7月16日号の特集「仕組み債残酷物語2」で記事を書きました。冒頭こちら。

特集:仕組み債残酷物語2 法廷で食い違う証言 2013年7月16日号 - 世界と日本でいま起きている経済事象の核心をあますことなく伝えます

特集のメインの記事(編集部の先輩執筆)はこちら。

特集:仕組み債残酷物語2 トラブルの実態 2013年7月16日号 - 世界と日本でいま起きている経済事象の核心をあますことなく伝えます

仕組み債という金融商品をめぐる取材のなかで、思い返したのが『マスターキートン』12巻の「永遠の楡の木」という物語です。

ロンドンで売り出し中のお屋敷の前に毎日佇む老人。破産した屋敷の元主人、フェンダース卿だった。卿はロイズの保険引受人を長年続けていたが、引き受けた保険金の支払いに全財産をあてざるをえなくなったのだ。庭にたつ楡の木は、落雷で真っ二つに割れ、フェンダース卿はその木に自分を重ねていた。
売れっ子作曲家である息子のロバートは厳しい父に反発してきたが、打ちひしがれた父の姿に作曲への意欲を失っていた。
そんなロバートにキートンはある提案をして――。

日本の漫画界が誇る不朽の名作、『マスターキートン』。
折に触れて読み返しているので、ほとんどの話が頭に入っているのだけれど、そのなかから、なぜアクションなしのこの静かな一篇を思い出したかというと、保険というものの仕組みからです。

ロイズは保険会社といっても、ロイズ自身が保険を引き受けるわけではなく、保険取引の場を提供するだけ。
保険金を支払うのは引き受けた個人。無限の支払い責任を負う。
3年間で地震や暴風雨、湾岸戦争と天災人災が重なって(この巻は1993年初版)、支払いのできない引き受け人も出てきて、フェンダース卿はその一人だった。・・・ちなみにキートンの副業(本業?の考古学より稼ぎはいいけど)は保険の調査員。ロイズの依頼で調査をすることが多い。

仕組み債とは、買った人が保険を引き受けているようなものです。

一見、債券に見えます。債券は一定の間、お金を貸して利子を受け取るもの。
仕組み債も発行元がいて、元本があって、償還期間がある。利回りや償還額は条件によって変わる。
でもその実は、条件がドル円相場だったら円高保険、日経平均株価だったら株安保険というように、円高や株安になった時に保険金を支払わなければならない。ロイズの保険と違うのは、支払いが無限ではなく、元本を超えない点。
だいたい最初は高利回りで、その後も円安や株高という条件次第で高利回りになるけれど、それは受け取る保険料。その代わり、満期までの間、保険を引き受けたことになる。
円安や株高の時には早期償還されるという条件は、保険を掛けている方が「もうこれ以上、保険料を払うのは割に合わないからやめる」ということ。別に引き受け手にとっていい条件なわけではない。

保険といって思い浮かぶのは生命保険や自動車保険でしょう。
保険料を受け取るかわりに、事故の時には保険金を支払うのは保険会社の役割です。保険会社は事故の発生率や死亡率を計算して、保険料を設定して、集めた保険料から死亡時や事故時の保険金を支払っています。
保険加入者がお互い、もしもの時に助け合う仕組みを、保険会社が運営しているのです。だから、生保とかは「相互会社」といったりします。

でも、天災人災の際には確率論を超えた莫大な保険の支払いが生じて、個々の助け合いシステムだと共倒れになる恐れがあります。
だから生命保険や医療保険では戦争が除外されていたりします。
その点をクリアするのが、ロイズのような、個人が無限の支払いを引き受けるというシステムなのでしょう。それでも天災人災が相次ぐと、フェンダース卿のようなことが起こるわけですが。

保険料が入るとはいえ、確率が測れないような、無限の支払い責任をなぜ引き受ける人がいるのか。
それは息子ロバートが父の破産の理由を聞いて発した言葉が物語っています。

「貴族の体面を重んじすぎて、無理な額を引き受けたに決まっている」。

代々伝わる、莫大な財産を持つ貴族としての、ノブレス・オブリージュ(高貴なるものの義務)だったのでしょう。階級社会のイギリスならではの発想であり、システムです。

一方の仕組み債
円高や株安が起こる確率も、生保の死亡率や損保の事故発生率のように、これまでのデータをもとに計算できます。それに、「今は皆、こっちの可能性が大きいと考えている」というように、市場で計られる現時点の期待値もあります。
金融の世界では、そうやって、お互いが計算し合って保険を掛けたり、引き受けたりしています。近年、発達してきた金融工学とは、さまざまなデータを基に、ある事柄の価値やリスクの大きさ、確率を計算して、金融商品を作ったり、取引を判断したりするものです。

でも、仕組み債の現実は、そんなことを何も知らないまま、保険を引き受けていることさえ知らないままに、金融の世界とは無縁な人たちが資産を“運用”するつもりで、あるいは“預ける”つもりで、保険金支払い原資として差し出しているのです。貴族ではない彼らの資産は、なけなしの退職金や老後の資金です。

過去のデータから確率を計算するといっても、金融の世界は天災人災と同様、不確実性がつきまといます。「100年に一度」の暴落が起きたりするし、確率を計算する金融理論でノーベル賞を受賞した学者も、相場変動によって会社をつぶしています。

確率論に基づく損得だけで計算すると、どうしても保険の引き受け手は不足する。不確実性を引き受けるのは、ノブレス・オブリージュか、そうでなかったら、無知しかないということなのでしょうか。

無知が求められるのは、不確実性があるゆえばかりではありません。皆が同じようにリスク・リターンの計算を高度化させていくなかでは、損得の捉え方が一緒になっていって、儲ける余地も失われていきます。要は、計算なしで、わずかな保険料と引き換えに大きなリスクを引き受けてくれる人が必要なのです。
証券業界のある人に「デリバティブ金融工学を使った商品。仕組み債もこの一種)はプロ同士で取引していればいいのに」と言った時に、返ってきた一言がずっと頭に残っています。「シロウト巻き込まないと儲からないから(笑)」

仕組み債の問題が表に出てきたのは、リーマンショックで円高・株安が進み、損失が膨らんだからです。だからといって、「起こるはずがないことが起こったのだから仕方がない」と済ませられはしません。元々、もしものことが起こった時のための保険ですから。
「中身をよく見ずに買った方が悪い」といなす人は、いつか自分も同じ目に合うでしょう。複雑化した世の中、すべてを自分の力で把握することは出来ません。
ノブレス・オブリージュ」が求められるのは、知識や情報を多く持ち、その差につけこんで客から利益を得ることも出来る立場であるように思います。