最期の日々に

実家の片づけという言葉は2014年の隠れ流行語大賞ではないかと思うほどよく見かけた。その文字を見るたび、そしてガランとした実家の一室に泊まるたび、胸がしめつけられる思いがする。

3年前に祖父が他界すると、父は猛然と遺品を処分した。それに留まらず、家族の品をどんどん整理していった(私が大事にしていた本まで売ってしまった)。病は既に進行し、体調が優れないなかの作業だった。

あと半年の命だったのだから、あんなことに費やさなくてもよかったのに。でも、末期と告げられた後は家業を畳む始末に没頭し、もう動けなくなるまで工場に足を運んでいた父のことだから、最期の日々と知っていても同じようにしただろうか。

4年ぶりの編集部です。生老病死の密度が濃い生活を経ると、経済の言葉や発想に隔たりも感じますが、本当はつながっているはずです。

(『週刊エコノミスト』2015年4月21日号編集後記)

子育てにお役立ちのアナログ三種の神器

ちょっと一休みして小ネタ放出。埋め込みも試してみる。

 

戦後の「白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫」に始まり、高度成長期の「カラーテレビ、クーラー、クルマ」、そしてデジタル時代の「デジタルカメラ、DVDレコーダー、薄型テレビ」と時代ごとに“三種の神器”と呼ばれる家電がありました(Wikipedia調べ)。

そして現代、ワーキングマザーの三種の神器は「乾燥機能付き洗濯機、食洗機、ルンバ」らしい。あぁ食洗機ほしい...いつも流しが汚れたお皿でいっぱいだよ...とボヤキはさておき、1年あまりの子育て生活で使ってみてお役立ち!のアナログ道具を紹介してみたいと思います。家電ほど大層に生活を変えるわけではないものの、場面場面で確実にストレスを減らしてくれます。電化製品かアナログか、という二択なわけではなく、家電にプラスしてみてはいかがでしょうか。

 

1.洗濯板

はじめは、布オムツ生活には必需品~というネット記事を見て買ったのでした。産後、1カ月ちょいして落ち着いてから半年ほど、布オムツを使っていたのです。人から譲ってもらったので。といっても外出時と夜は紙オムツを使い、やっとウンチが固くなってラクになるはずの頃にはフェードアウトしてしまいましたが。

しかし、この洗濯板、オムツについたウンチを落とすばかりでなく、お洋服のウンチ漏れや外遊びの土汚れをこするにも、ご飯粒を落とすにも、すこぶる都合がいいのです。洗濯機にほうりこむ前にちょっと手洗いしなくちゃいけない時って多いもの。コンパクトかつシンプルなので、洗面所の蛇口にたてかけておけば、さっと使えて、見た目も邪魔になりません。プチプラだし、持っていて損はしないかも。


洗濯板 約17.5×10cm | 無印良品ネットストア

 

2.マッシャー

これは子どもが生まれるより前に買っていました。末期がんの父でも口にできるようポタージュを作ろうと思ったものの、電化製品が苦手な母はミキサーを受け付けないのでマッシャーを探したのです。見つけたのは柄が頑丈で大判のものと、この無印良品の小ぶりなものと。大きい方は実家へ寄贈し、この小さい方は手元において、ポテサラの芋をつぶす時などに使っていました。


ステンレス マッシャー・小 約幅5×長さ20cm | 無印良品ネットストア

この小ささが離乳食づくりに最適。初期のペーストにはミキサーを使いましたが、少し粗くてもOKになれば、だいたいコレでいけます。ミキサーって洗うのがとっても面倒だけど、マッシャーの手軽さといったら!フォルムが美しいところも気に入っています。

 

3.ほうき

産後は我ながら神経過敏でした。赤ちゃんの隣で床に敷いた布団に横になっていると、空を舞う塵や、床のホコリが目について、これを赤ちゃんが吸い込んでいるのか・・・と身もだえしました。すぐさま空気清浄機とハンディクリーナーを買ったものの、だんだん通常モードに戻ってくると別に気にならなかったり。

とはいえ、掃除機をかけられるのは夫が週末に子どもを連れだした時ぐらいで、子どもをおんぶしてかける技を覚えるも、だんだん重くなると辛い。しかも、ごはんを食べるようになると、あちこちに食べこぼしのご飯粒がカピカピになって転がっていて、見て見ぬふりも限界に。

 

そこで、ほうきです。

その辺の日用品売り場には見当たらず、せっかくなら良いものを、と宝町にある白木屋伝兵衛のお店まで地下鉄を乗り継いで行きました。

工房と事務所の一角が板の間のお店になっていました。子どもが商品のミニほうきやらたわしやらを散らかして遊ぶのにもとっても親切にしてもらえてありがたい限り。子連れ客、多いみたいです。

用途を説明して勧められたもののうち、一番安いものを選びました。それでもチリトリと合わせて7000円超。 初心者だからこそ、使いやすいというもう一段上のものにした方がいいか迷ったけれど(編みこんだひもが赤いのもかわいかった)、マメに使い続けられるか分からず、物を丁寧に扱うタチでもないので思いとどまった。入門編として1本使い込めたら、ワンランク上げようと。

 

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白木屋傳兵衛 オンラインショップ

んで使ってみると、これが毎日しっかりお役立ちなんです。冷蔵庫の横にかけてあるのをひょいととって、気になるエリアだけパパッとゴミを寄せる。イスをどかさなくても、脚の合間にほうきの先が入り込みます。チリトリでごみをとるのって何回繰り返しても少し残ってストレスだけど、ハンディクリーナーで吸い取ってしまえば一瞬。リビングをざっと掃除するのに5分とかかりません。掃除機のように、周りをうろちょろする子どもの指を吸い込んでしまわないかとヒヤヒヤすることもない。深夜でもチリトリを使えば気がねなし。朝ってまぶしい光のなかで埃が目立つのに掃除する隙はなくていきなり憂鬱になりがちだけど、掃除してから寝ると気持ちよく朝が迎えられます。

ちょっとその辺に置いておくと、子どもが持って掃除のマネをします。安心して触らせられるのもアナログ道具のいいところかも。

 

番外:ドアストッパー 


マグネットドアストッパー(BK): インテリア雑貨・生活小物 - 【ニトリ】公式通販 家具・インテリア通販のニトリネット

もともとドアについているおうちもあるかと思います。うちはないので、ベビーカーで出入りするたびに、ドアを肩で押さえ、足で押さえ・・・とストレスフルでした。それがこの小さな道具で一気にスムーズに!なんでもっと早くにつけなかったんだろう。全妊婦に伝えたい。

子どもがアンヨするようになって自分で外へ向かう時も、まだまだゆっくりなので、ドアを開けて止めておけば、その間にいろいろできます(カギ探したり、エレベーターのボタン押したり)。

うちにあるのはこのニトリのものではなく、似たようなやつでヨ―カドーで買ったもの。検索してみたら、いろいろあるようです。足でバーを跳ね上げるタイプならだいたい同じはず。

子育てって何かと細かい用が多くて、しかも自分のペースでは出来ないから、ちょっとでもストレスが減るのは重要です。便利グッズはいろいろ出ているけれど、グッズを増やしすぎてもまた煩わしいもの。昔ながらのものは機能的にも、見た目的にも確かなことが多いように思います。

11月15日 医薬分業

またまた間が空いてしまいました。引っ越したはてなブログでは、何日前の記事が表示されるのですが、70日前とあるのを見てびっくり、そんなに経ってしまったか・・・。年内に「父の病窓から」を完結させることはできず、年度内が最終リミットです。ほんとに。春からは仕事に本腰いれようと思っているので。慌しさに没入する前に、あの日々を書き留めることだけはしておきたい。仕事への慣らし運転にもなるかな、と。

 

11月15日 あちこちの薬局に電話を掛け、鎮痛麻薬を扱っているか尋ねる。

 

前日、退院してから初めての外来で、薬局での待ち時間がネックになることが分かった。来週の外来は私はいないと想定されていたけれど、母は店番があるのでずっとは付き添えない。後から従業員の人に受け取りにいってもらう?でも父の外来の順番は午後の最後なので夕方、終業時間を超えてしまう。翌朝、出勤途中で受け取ってきてもらう?1日分足りなくなりはしないか。それなら近所の薬局で受け取ることは可能だろうか?ということで、リストをもとに電話を掛けたというわけだ。

鎮痛麻薬はどこの薬局にも置いてあるわけじゃない。免許制で、管理についても厳しく定められているらしい。その免許を持つ薬局のリストを、末期がんと告げられ、鎮痛麻薬が処方されはじめた時に渡されていた。大きな病院の周りにはたいてい、そこの処方箋を主に扱う薬局が何店舗かあるが、それまで父が利用していた薬局は麻薬の免許がなかったので、今の薬局に替えていた。そしてその薬局は混んでいる。(だから元々利用していなかったらしい。)

あちこちの薬局に電話をするものの、免許があるからといって、いつも鎮痛麻薬の在庫があるわけでもないという。鎮痛麻薬が処方されるのはがん患者が多いだろうが、がん患者が通院しているような総合病院の近くでなければ、そうそう扱うこともないのだろう。使用期限もある。本店から取り寄せるので翌日になるだとか、発注するのであらかじめ知らせてほしい、など使い勝手が悪いことが分かった。結局、元の病院近くの薬局を利用し、翌日、従業員の人に持ってきてもらい、そして医師に事情を伝えて多めに処方してもらうということで落ち着いた。

 

医薬分業は、薬剤師が医師とは別の専門家の視点から投薬をチェックする狙いだという。副作用や飲み合わせに目を配り、薬で稼ぎたいゆえの過剰投薬を防ぐ。ただ、どの病院の処方箋を、どの薬局に持っていってもいいというのが建前ではあるが、あらゆる薬局が、すべての薬を揃えるわけではないし、そうすることはたぶんおそろしく非効率的だから、病院と結びついて、その病院で処方される薬を揃える。(門前薬局というらしい。)院内薬局とどう違うのか?患者の側からすれば、会計と薬局をはしごして二度待ちしなければならず手間なだけである。

確かにあちこちの病院にかかっている人に対しては、それぞれで処方された薬の飲み合わせを1つのかかりつけ薬局でチェックするのは効果的かもしれないが、それが出来るのは処方されるのが一般的な薬の場合に限られるだろう。逆に言えば外来ではそこまで専門的な投薬が行われることがそれほどなく、この鎮痛麻薬の外来処方というのは特殊なのかもしれない。

そういえば出産後の入院中、ひどく湿疹ができた時のこと。医師に診てもらうと、「子ども用の薬なら出せるけど」という。小児科併設の産科病院だったから、大人用の皮膚科の薬は置いていないというわけだ。すばらしく特化している。妊娠中、外来で切迫早産の薬を処方されていたけれど、それは院内薬局で受け取っていた。

院外にしても院内にしても、薬剤師は薬について患者に説明する役割は同じだ。あとは医師の処方にどこまで物申すことができるか、だろう。「独立している方が言いやすい」からこその医薬分業なのであって、それがないのなら患者が面倒なだけである。

11月14日 通院

街角の焙煎所で珈琲を手にぼんやりしていたら、学校帰りの小学生たちがガラスの向こうを歩いていく。新しいお客さんと入れ違いにごちそうさま、と通りに出たら、ミルで豆を挽いたのだろう、ふわっと香りが広がった。ワインのような、変わった豆だそうだ。焙煎する時にはもっと道の遠くまで香ばしさが漂う。

実家の工場もちょうど周りこむように小学校の通学路になっていて、よく同級生からお茶の香りがすると言われていた。

珈琲とお茶の仕上げは、けっこう似ている。珈琲は豆を挽き、お茶は葉を揉む、のだけれど、原料に火を入れる加減で味や香りが変わる。さまざまな特徴を持つ原料をブレンドして、味を作る。

機械を運び出した工場はがらんどうで、もうじき倉庫として貸し出す。通学路も変わって、小学生はもう通らない。

11月14日 外来に付き添っていく。

緩和ケア病棟を退院するとき、外来に家族がきてもかまわないという了承を主治医の先生から得た。最初の外来の予約の日がやってきた。時間は午後の外来の一番最後。父はお昼を食べたあとからそわそわしていた。出がけの電話が長引いた私をしり目に、早々に支度をして、上がり框に腰かけて待っていた。

タクシーで病院に着くと、入り口で車イスに乗せ、受付の機械に診察券をかざす。
前は血液検査で二階にいったけれど、それはもうしなくていい。検査データを見て状況を把握し、対策を立てる段階ではもうない。直接、泌尿器科の受付に行って診察券を出し、待つ。電光掲示板にそれぞれの診察室でいま何時台の予約の患者を診ているかが表示される。30分はずれている。同じ予約枠のなかでも3人いるから、さらに待つ。

診察室のなかからマイクで患者の名が呼ばれる。○○様、という医師と、○○さん、という医師がいる。医者が偉そうだった時代から、患者を上にする、サービス業的な姿勢を示すため様呼称が取り入れられたものの、今また「さん」に戻す病院も出てきているようだ。主治医の先生は○○さんだった。確かにこちらの方が自然だ。

診察室に入ってきた父の顔を見て、主治医の先生の表情が和らいだ。状態はいいと判断したようだ。鎮痛麻薬や睡眠薬の薬の量など話して、また一週間後ということで終わった。

泌尿器科の受付でファイルをもらい、総合受付の窓口に出す。処方箋は別の窓口から薬局にFAXする。父は先にタクシーで帰した。30分近く待って、名を呼ばれ、精算書を受け取る。自動精算機で支払いを済ませ、目の前の薬局へ。先に処方箋をFAXしたものの、ここでも30分近く待つ。薬ができた順に番号が電光掲示板に表示されていく。

つくづく病院とは待つところだ。
私でさえ、まだかな、もうこんなに過ぎたのに、と思いながら電光掲示板を眺めたりしているのは疲れる。
それを病人がやるのだ。特に体が弱った状態では、家族がいなければ、病院に通うのも一苦労ではないか。おひとり様だとどうするのだろうか。介護に通院付き添いという項目は一応あるものの、認定がややこしそうだ。

医療、介護、それに生活保護に保育。
公共サービスというのは、受けるための手続きがすさまじく煩雑だ。
必要としている人は体力や気力や情報収集力、あるいは行動の自由を欠いている状態だというのに。

待つというイライラについて。
別の外来の日、待合室で事務の女性相手に怒鳴り散らしている男の人がいた。その日、泌尿器科では患者がファイルを受付に出したり、会計に持って行ったり、という作業手順を変える実験をしていた。何かの手違いで診察の順番が後回しになったらしい。

誰かがイライラを発散させる声は、待っているイライラを倍増させる。
たまらず近寄って「静かに、ここにいる人たちには大声はこたえます」というと、「なんだお前は」とすごんできた。言い争いになっては周りの患者たちにさらに耳障りだと思い、しばらく黙ってじっとその人を見ていた。この人も病気を抱え、神経が逆撫でられやすくなっているのだろうと思えてきた。じきに事務の役職らしい男の人が出て来て、女性と2人で平謝りした。彼はようやく矛先を収めたようだった。

そういえば父も一度、会計でひどく待たされ、受付に強く抗議したと言っていた。「手際が悪い」とよく観察するのは経営者目線か。丁重に謝罪されたらしいが、その後、自分が病院でウルサイ患者だと思われているのではないか、主治医までそれを知っているのではないかとしきりに気にしていた。豪気なのか、小心なのか、よく分からない。

11月11日 面会

11月11日 夫の父母が見舞いに来てくれた。

あと1カ月だと言われて、誰に会っておいた方がいいのか考えなければならなかった。そうすると、やっぱり本人に聞いた方がいいのではないかという迷いに何度も戻った。
誰に会っておきたいんだろう。誰に会いたいんだろう。
会っておかなければならない人は誰だろう。
取り返しのつかないことを推測で判断しなければならない。
それに、父に、相手に面会のことをどのように伝えればいいのか。

入院した翌日に、大学の恩師の先生が見舞いに来てくれた。
同窓会に欠席した父を気遣って遠方から来てくれることになっていたが、それが入院した後にあたった。私は席をはずしていたが、別れ際に戻ると、父は少し涙ぐんでいた。

入院中、叔父叔母が訪れた。そもそも相続の相談で会う必要があったから、理由など考えずに済んだ。

自分の義父母は、どちらかというと父のためというより、私のためだったのかもしれない。会っておいてほしい、という気持ち。見舞いに来てくれると言うから、と父に伝えると、緊張する、とつぶやいた。実は義父母には来てくれるよう頼んだようなもので、行っていいのか、とためらっていた。

病院への見舞いになる予定が、退院したので家で迎えることになった。父には工場の案内もしてもらった。こうやって生きた人だというのを知ってもらいたかった。会話は兄が加わってくれたのでよかったが、父を疲れさせてしまったかもしれない。
こんな時の見舞いは来る方も掛ける言葉が難しかっただろうと思う。

一番悩んだのは、施設で暮らす祖母だった。
お袋、と頼ったり甘えたりするところはみじんもなかった父ではあるけれど、母親なんだから、ひと目会いたいはず。会うには連れてきてもらわなければならないから言い出しにくいかもしれない。でも、自分の衰えた姿を見せたくないのではないか。わざわざ祖母を連れてきたら、いよいよ死ぬのだと突き付けることになりはしないか。

母は、反対した。
祖母が父の姿を見て取り乱したりしては、父も辛いだろうという。
兄は、父がどう思っているか聞いてみるべきだと言った。
でも、それをどう切り出せばいいというのか。
母は、父に聞くことにも反対した。

祖母には、父が入院したこと、退院して家で静養していることを伝えていた。
それまでは毎週末、顔を見にきていたのに、どうして来ないのかと思っていたのかどうか。退院して家にいる、ということで安心していたようだった。

ある時、父が、祖母の施設に電話をかけて、祖母につないでもらってほしいという。父に代わると「また顔を見にいくから」と言っていた。あぁ、会わせなくていいのだな、と迷いは消えた。

自宅療養の困りごとは、家を訪ねる人を断るわけにはいかないところ。何も知らない相手はいつも通り入ってくるから、リビングに寝ているところに出くわす。応対せざるをえない。
「こんなになっちゃって」「がんばれよ」。無神経な言葉に、思わず「がんばっていますから」と返した。
父からは怒られたけれど、末期だと言ったから来たのでもないし、ふらっと訪れそうな人にあらかじめ「来ないで」と言っておくこともできない。入院なら、病院や病室を知らせなければ済む。何か手立てはあるのだろうか。