11月6日 いのちのスープ

11月6日 火曜
辰巳芳子レシピの「いのちのスープ」を作ってみる。

高機能の介護・病人食に驚きつつも、なんかそうではない方向で、滋味のあるものも口にさせたい・・・という思いが湧く。折しも、ほぼ日で連載中の読み物が料理家・辰巳芳子さんのいのちのスープだった。

辰巳芳子さんが教えてくれたこと。 - ほぼ日刊イトイ新聞

「天のしずく」という辰巳さんを描いた映画にまつわるインタビューで、死のまぎわのお父さんのために作ったスープが、今では緩和ケア病棟に勤める人たちが習いにくるようになったという。

病室から戻った夜、試しに作ってみる。

玄米のスープ

1.2カップの玄米を炒る
2.ほうろうの鍋に炒った玄米を半カップ、昆布5センチ角、塩梅干し、水5カップを入れ、中火にかける。
3.煮立って玄米が花が開いたようになったら、弱火にしてフツフツと30分炊く。濾してそそぐ。

*炒った玄米は冷まして保存しておくと何回か使える。炊いた玄米はおかゆに

ネットで調べたレシピをやや省略して作ったので、いい加減です。
いま検索したら、その後、NHKきょうの料理でとりあげていたようです。

[玄米スープ] 料理レシピ|みんなのきょうの料理
玄米の香ばしさと、昆布のうまみに、梅干しの酸っぱさがアクセントになって、美味しい。

最初に炒るところが、「半分ほどはぜて白くなるまで」なんだけど、なかなかはぜなくて、炒り続けていたら焦げてしまったりとうまくいかない。
あと、うっかり煮立てすぎてしまったり。

濾す時、父の医療器具取り換え用で指定されているリード・クッキングペーパーを拝借したら、モロモロにならず、すっきり透明に。やっぱ高級品は品質が違うわ・・・。

その後、インタビューに出てくる、しいたけのスープにもチャレンジしてみた。

1.干ししいたけ4、5枚をもどす
2.ほうろうの容器にしいたけ、昆布5センチ角、塩梅干しを入れ、別の鍋で熱くした戻し汁を注ぐ。
3.容器に皿などでフタをして、蒸し器で40分蒸す。
4.しいたけ、昆布、梅干しをすぐ取り出して、器に注ぐ。

こちらも正確なレシピがきょうの料理に。
[干ししいたけのスープ] 料理レシピ|みんなのきょうの料理

こちらの方が蒸し器を使うので少し手間がかかる。しいたけが加わった分、うまみが強い。

退院した後は、昼か夜の食事の時、時折スープを蕎麦猪口に1杯、つけていました。父だけじゃなくて、全員に。看る方にも必要だと思った。梅干しの量で味のバランスが崩れたり、煮過ぎて香りやうまみがとんだりと出来そこないばかりではあったものの。
母は「栄養のスープ」などと言っていたけれど、栄養のつもりじゃなかった。
気休め?自己満足?でも、自分が飲んでも、何か力を得る感じと、ほっとするところがあった。

食事が出来なくなって、ベッドでアイスクリームを口にするだけになった時も、このスープをスプーンで口に運ぶと、舌で味わっていて、「これは何の味だろう・・・昆布と、梅干しと、なにか香ばしい味がする」「玄米だよ」「いままで食べ物の味や香りを気にしたことはなかったな」というやりとりをした。

目で見られないと、味覚が研ぎ澄まされるのだろうか。
職業柄、お茶の味や香りをシビアに利き分けていたから、純粋に味や香りを味わうことがなかったのかもしれない。

辰巳さんはインタビューのなかで
「いのちとは、時間のなかにある」と言う。
30分、40分、火にかける時間。昆布や梅干し、干ししいたけが作られるまでにかけられた時間。
シンプルだけど、時間がこめられたスープだから滋味があるのだろう。

自宅でも疲れた時に作ってみようと、ホウロウの鍋と容器を持ち帰ってきたけれど、作ったのは一度きり。同じように作ったのに、あの頃ほどの美味しさは感じなかった。必要とする時というのがあるのかもしれない。

11月5日 高栄養飲料

11月5日 月曜
栄養士に高栄養飲料を勧められる。

父は入院してからは3食、わずかながらも口にしていた。
全がゆととろみをつけたおかずというメニューで、食べてせいぜい2、3割というところ、あとは私がたいらげていたのだけど。

この日、病室を訪れた栄養士に、動かなくても基礎代謝の分があるからカロリーが足りないといって、ドリンクにゼリーなど高栄養食品を紹介された。サンプルをいくつかもらい、ドリンクを朝食に1本、出してもらうことにする。

テルミールというやつでいちご味と抹茶味がある。フルーツ牛乳ないしは抹茶オレのような味らしい。125mlで200kcal。栄養素もプラスされている。ダイエット食品はいかに食べごたえがある割にカロリーが少ないかがウリだが、まったく逆のニーズがあり、それに応じた商品があることを初めて知った。飲み込むことも辛い病人やお年寄りが、少量でカロリーはじめ栄養を摂ることができる。

退院後も毎朝1本ずつ飲んでいた。
病院内のローソンに売っているテルミールを外来のたびに買い占めない程度に仕入れた。あとは近所の薬局にあった同様の商品、メイバランス。品薄なので入荷日を尋ねて買いにいったほど。メイバランスの方は味が7種類と多く、コーヒーやらバナナやらいろいろ試してみたりもした。

栄養士に渡された通販カタログを見て驚いたのだけど、この病人食・介護食の世界がこんなに多彩とは。テルミールやメイバランスのような高栄養食品、飲み物やおかずにとろみをつける粉、柔らかいおかずやおかゆのレトルト食品。なかにはムースで作ったおかずのセットまであった。さばの味噌煮にきんぴらごぼう、ニンジンの煮物、というメニューがすべてムースになっている。さば味噌はお魚の形に、ニンジンは花形に形づくってある。鮭やたらなど、ちゃんと皮のついた切り身に形づくったムースまである。

その後、この市場が拡大しているという新聞記事をいくつか目にした。メイバランスは新聞広告で見かけ、最近ではテレビCMも登場した。父のことで初めて存在を知って目にとまるようになったということもあるけれど、まさに急成長するタイミングだったのだろう。

たとえばこんな記事。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/life/CK2013091802000145.html

今までは施設向けが中心だったけれど、在宅介護が拡大見込みで家庭用にシフトしているようだ。今は薬局が中心だけど、これからはスーパーにも並ぶようになるのだとか。
通販カタログを見ると、食品メーカーから医療系まで各社参入している。テルミールはテルモだし、メイバランスは明治。家庭用シェアトップはキユーピーだそうで(@東京新聞)、ほかにも味の素、大塚製薬旭化成ファーマカゴメマルハニチロネスレハウス食品、等々。味と見た目、栄養に食べやすさと、食品加工技術を駆使できそうだ。

業務用より家庭用の方が単価が高くなるし、付加価値もつけやすい。マーケティングの仕方も変わってくる。ドラッグストアでは、レトルト離乳食のラインナップに驚くけれど、こちらの方がよっぽど大きな市場なのだろう。高齢化でそもそも必要とする人が多いし、使う期間も長い。離乳食と違って、いつまで、という先が見えないから、在宅で作り続けるのも、より大変だ。

それに、胃ろう(お腹に穴をあけて胃に直接、食べ物を入れる)への拒否感がクローズアップされていることも影響するのではと思う。単に胃ろうはイヤだと避けると、点滴に置き換わるだけだったり、まだ生命力がある状態なのに栄養不足になったりしかねない。こういった食品が使いやすくなれば、飲み込む力が落ちても口から食べ続けること、胃ろうや点滴を経て再び口から食べることが出来て、気持ちの面でもずいぶん違ってくるのではないかと思う。

11月3日 iPad mini

11月3日 土曜
兄がiPad miniをプレゼントする。

末期と言われて以降、週末のたびに帰省している兄が、発売されたばかりのiPad miniを持ってきた。wifiルーターを枕元のコンセントにさし、病室が無線LAN環境に。いいのかどうかは分からないけれど、勝手に・・・。そういえば、以前は心臓ペースメーカーや病室の機器を誤作動させるからという理由で病院内は携帯使用不可だったけれど、最近はあまりうるさく言われない。なぜだろう。

父は初期のiPadもプレゼントされていて私がおさがりでもらったのだけど、比較するとminiは断然軽いし、小さくて持ちやすいしで、横たわったままでも使いやすい。病人にはうってつけです。

ずっと横になっているばかりで時間があるのだから、本でも読めばいい、と入院生活に対して思う人がいるかもしれない。というか、私がそう思っていました。
でも、手に本を持って文字を追うには気力がいって、その気力が衰えているのが病人というものだと分かった。父も、手術の入院の時などはよく本を読んでいたけれど、いまは読む気がしないと言う。ましてやインターネットのように積極的に情報をとりにいくツールはなかなか厳しい。

退院後、元気な時はたまにネットも見ていたようだけど、iPad miniはもっぱらラジオとして使われていました。NHKもアプリを出していて、私がダウンロードしたのです。テレビもガチャガチャしてうるさいから、病人&お年寄りにはやっぱりNHKラジオの落ち着いたトーンが一番いいよう。ラジオ深夜便の根強い人気もさもありなん、です。

あとはfacetimeでテレビ電話をした。
兄と入れ替わりで大阪に戻った私&夫と、病室の父、母、兄との間で顔を見ながら話す。文明の利器って偉大だと思えた。

今は病院や介護施設にはテレビが置かれているけれど、いずれネットに慣れ親しんだ世代が年をとったらwifi完備になったりするのだろうかと考えたりします。

ちなみにタッチパネルだと病人の付き添いにも便利です。携帯電話のボタンと違って、操作音がしないので。私はもっぱら父が寝たすきにiPhoneで調べ物をしたり、mixiでつぶやいたりしていました。

11月2日 自己決定 

11月2日
自分の声が響くのが気になると耳鼻科へ。漢方を処方される。

原因は痩せて、鼓膜の筋肉が薄くなっているためで、根本的に治すには太るしかないという。そして、症状を和らげるための漢方を出すことも出来ますが、どうしますか?と聞かれる。

父はしばし逡巡した末、お願いします、と答えた。

毎食前に、粉薬を一包飲むことに。母は、やっと薬が減ったのに、なんでまた増やされるの?とプリプリしていた。

末期と診断された後、薬の量が一気に増えた。まず痛みを緩和するための飲み薬(医療用麻薬)、それは胃に負担なので胃薬、腸の働きも鈍るので便秘薬、そして不安への対処として睡眠薬、神経系の薬――。それぞれ飲むタイミングも違う。入院して、鎮痛麻薬が飲み薬から刺しっぱなしの針からの注射に変わったので、だいぶ薬が減っていた。

でも、どうしますか?と聞かれたら、要らない、とは言いにくいだろう。少しでもよくするために何か出来ることがあればしたいところ。尋ね方が、飲んでも飲まなくても変わらないような感じではあるものの。

実際、飲んでも飲まなくても、それほど変わらないのかもしれない(その後、あまり変わらないと父も言っていた)。それなら、薬を出さないでほしい。それでも出すのなら、本人に尋ねないでほしい。飲んだらよくなる、という心理的な効果が薄れるから。

薬を飲むというのはけっこう負担である。飲み込むこと自体もそうだし、いつ、どれを飲むかを管理することも。

そして、どうするのか尋ねられることも負担である。

最近では、医療者が情報や選択肢を提供し、患者が自分で判断すべき――という流れのようで、それはあるべき姿ではあるのだろうけれど、自己決定にはエネルギーが要って、体力とともに気力も衰える患者にはなかなかに難しい。なかには元気な患者もいて、その人たちが大きな声を上げてきたからそういう流れなのだろうけれど、そうではない人たちには負担だ。それなのに、自己決定という正しさの前に、声を上げる気力もない。

最低限、いやなことを拒否する権利さえ確保されていれば、あとは基本は医療者に任せていいのではないか。自分で決めたい人は、声を上げることが出来るのだから、そう求める人に例外的に対応すればいいのではないかと思った、ささいな耳鼻科での一幕だった。

11月1日 病院選び

11月1日 木曜
父の誕生日なので花かごを持ってゆく。入院して初めて院内を散歩し、富士山を眺める。

朝、近所の花屋さんに電話すると、「どこの病院ですか?」と聞かれる。
なんでも病院によっては花の差し入れは不可、だそう。
ぐぐってみると、院内感染のリスクがあるかららしい。
前に祖父が入院した病院で花の自動販売機を見て驚いたけれど、一方では見舞いの定番の花が駆逐されているのか。

父は入院時には衰弱していたのが、3日間でかなり回復したようで、この日、初めて病室を出て散歩する。夕方には病棟も出て、別館まで足を延ばしたほど。

渡り廊下の窓から美しい富士山が見えた。

病院から、病院の行き帰りの道中、家のベランダから、実家と大阪の家を往復する新幹線から、父の最期の日々は、折々に富士山の美しさが胸に沁みた。これほど美しいと思ったことはなかった。

富士山が見え、そして祖父の生まれ故郷の山が見え、家のあたりの街並みが見える。
病院は家から自転車orバスで10分ほど。この近さが最初から最後まで父がこの病院で闘病生活を過ごした理由だった。

5年前、父は定期の健康診断で尿に異常が見つかり、近所の診療所へ。
健康な父にとってはかかりつけ医というほど縁はなかったが、私が子どもの頃に風邪を引くと行ったというように、我が家で何かあると頼る町医者だった。
そこでも異常は異常のままで今の総合病院への紹介状をもらい、検査の末にがんと診断された。

手術、再発を繰り返すなかで、人からは他の病院にセカンドオピニオンを求めることや、がん専門病院で先進的な治療を受けることも勧められたそうだ。
でも父は、今の病院なら、午前中、外来に行って午後には仕事に戻れるし、入院中も母が朝晩、行き来できる。リタイアしていて治療に専念できる人なら、いい病院を探して、引っ越してでも治療を受けにいくかもしれないけれど――と言っていた。

といっても、この病院もがん拠点病院だから、そこにこの近さは恵まれていたともいえるのだけれど。

がんの治療法や病院の選び方についての情報は多い。いい病院のランキングやリストもある。もっといい病院、いい医者、いい治療があるのではないかと“ドクターショッピング”に陥る患者もいる。父はその対極を行った。
よりよい治療を求めること自体が生きる気力となる人もいるだろう。でも、がんと並行して日々の生活がある。

後でこんな話も聞いた。田舎の親にいい治療を受けさせようと、息子たちが大学病院に入院させたけれど、どんどん無口になり、気力をなくしていく。もはや手術どころではない。そこで同じ出身地の看護師が方言で話しかけると、口を開くようになった。故郷の病院に移ることを目標にリハビリに精を出し、そして帰っていった――。
そういえば、ここの病院の看護師さんたちも、若くて美人でもベタベタの静岡弁を話していたっけ。